資本主義の語を使わなかった「資本主義の父」 100年前からSDGsとCSVを説き続けた渋沢栄一
しかし、ここでのキーワードは公益です。ところが、その中身については、渋沢は明らかにしていません。公益とは何かは、渋沢の思想と活動を分析するうえでカギとなるので、この点は、あとで詳しく触れることにします。
岩崎弥太郎、アダム・スミスとの違い
次に、渋沢が重視したのは、会社経営や事業活動に従事する人材でした。これも資本主義と異なる点です。特に経営者は、会社の使命や目的をよく理解し、公益を追求する人でなければなりません。
三菱の総帥・岩崎弥太郎と論争したことがありました。渋沢は、事業経営により利益を上げることは重要だが、投資家すべてにその利益が行き渡ることが肝心と主張しました。岩崎が渋沢と手を組んで日本経済を牛耳ろうと持ちかけたのですが、事業や利益を独占し、財閥の形成を目的にすることに、断固として反対したのです。
その意味では、経営にあたる人材には、事業を適切に進めてゆく実行力だけでなく、広くパートナーを求め、協力することのできる視野の広さと協調性、それを支える人的ネットワークを有する能力を期待されました。渋沢自らが、それぞれの企業にふさわしい経営者を探し、眼鏡にかなった場合はその経営を任せました。
「順理則裕」(理に従えば、すなわち、豊かなり)であり、順理とは「合理的・論理的に考え、行動する」「道徳・倫理、人間としての基本姿勢を尊重する」いう、いわゆる「見える手」による資本主義でした。
人的要素や人材育成に力点を置いたことが、同情心を持った個人の、私益を追求する自由競争が、市場における「見えざる手」によって人々の欲求を満たすというアダム・スミス流の資本主義とは異なっていたのです。
どんな分野でも事業を興し、展開するためには元手となる潤沢な資本が必要です。この点は資本主義と同じです。しかし資本の集め方が違いました。渋沢栄一は、一部の大資本家だけでなく、事業の目的や趣旨を理解した人々ができるだけ多く資本参加できるように尽力しました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら