小室圭さんの説明文書が「0点」と言える3つの訳 ビジネスパーソンも肝に銘じたい執筆の心構え

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2つ目のポイントは、「読み手を信頼していない」と思わせるフレーズを多用したこと。

小室さんは文書の冒頭、「1【はじめに】」の中で、「平成31年(2019年)1月22日以降、長らく私から何かを公に発信するということをほとんどしてきませんでした。(中略)私が沈黙してきたことにより私や母に対して不信感を覚えている方もいらっしゃると思いますが、この文書をお読みいただくことによって、これまでの事情を理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです」とつづっていました。

また、文書の最後、「8【おわりに】」(以下、全文)で、「この文書を読んでくださった方は、様々な印象や感想をお持ちになると思います。元婚約者の方との話し合いのなかで行われたやり取りについては、母の代理人である上芝弁護士が担当したため客観的に整理した情報として受け止めていただけると思いますが、平成31年(2019年)の文書を公表するまでの経緯として書いている内容は、録音をはじめとする記録はあるものの、多くは私や母の認識に基づいています。そのため、この文書は私と母の一方的な言い分を記したものだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでも、色々な事情があったのだということを理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです」と締めくくりました。

冒頭の「不信感を覚えている方もいらっしゃると思いますが」と、最後の「この文書は私と母の一方的な言い分を記したものだと思われる方もいらっしゃるかもしれません」というフレーズは、「読み手を疑っている」という前提で書かれたものです。

読み手を信じて感謝するメッセージが望ましい

小室さんがさまざまな報道やネット上の声に苦しんできたことは理解できるものの、読み手を信頼せずに書いた文書を好意的な気持ちで受け取ってもらうのは至難の業。もし本当に「少しでも理解してほしい」「共感してほしい」という気持ちがあるのなら、「みなさんのことを信じています」「だから読んでくださってありがとうございます」というニュアンスを交えてつづるべきなのです。

もう1つ気になったのは、文書の冒頭に「これまでの事情を理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです」、最後に「色々な事情があったのだということを理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです」と、ほぼ同じフレーズが使われていたこと。「1人でもいらっしゃったら」というフレーズは、まさに読み手を信じていないことの表れであり、それを読み手の注目度が高い冒頭と最後に使っていました。

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