誤ったESGの議論は格差を拡大し成長を損なう 日本企業に株主主権の強化を求めたのは間違い

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<説明のため図を再掲>

ちなみに、ここで従業員に求める見返りの大きさはCの面積よりは大きく、CとDを合わせた面積よりも小さなものでなければならない。Cの面積よりは大きくないと株主に利益がないし、CとDの合計より大きくなると従業員の賛成を得られないからだ。

やや具体的なイメージで言えば、彼ら経営陣としては、従業員に対して、「企業活動レベルを水準Zまで自制自重するから、その代わり、会社に忠誠心を持って参加してくれ、賃金は少なめでも頑張ってくれ、自分の会社での役割を意識して切磋琢磨してくれ」などと説くわけだ。何の合意もなく株主ガバナンス論を振りかざして水準Yを選ぶのではなく、従業員との合意の上でZを選んだほうが、株主にとっても従業員にとっても好ましい状態になる。

これに気づけば、単純な株主ガバナンス強化論が見落としていることは明らかだろう。問答無用型の株主ガバナンスは、従業員たちと経営陣との交渉あるいは合意形成への努力を無意味化することにより、日本全体に大きな外部不経済をもたらしかねないのだ。

ところで、この水準Zは、企業の意思決定を従業員が完全に握っていて、株主は企業の株式を持つか売るかの自由しかないときでも、同様に実現しうる。

この場合は、株主から従業員にBよりは大きくAとBの合計よりは小さい価値移転が生じる。結果として株主に残るのはAの面積の一部でしかないものの、企業がまったく新しいことに挑戦しないで何も得られない状態よりは、株主にとって好ましい状況を作り出せる。従業員たちも何のチャレンジもせずに水準Xにとどまっているより大きな報酬が得られるはずだ。

同じZでも株主支配か従業員支配かで分配は変わる

しかし、ここで注意したいことがある。それは、企業活動水準として社会的最適点であるZを選ぶことに変わりはないのに、株主に支配されている場合と従業員に支配されている場合とでは、企業活動の成果の「分配」は大きく変わっているということである。

株主が企業を支配している場合には、株主に本来の帰属利益であるA+Bに加えてCとDの一部を合わせた大きさの従業員からの移転利益が生じる。従業員には本来の帰属損失Bに加えてCとDの一部を合わせた大きさの株主への移転損失が生じる。これに対し、従業員が企業を支配している場合には、従業員にAの一部の大きさの利益が生じて、株主にはAの残余部分に相当する利益しか生じないであろう。

つまり、企業経営が社会全体にとって最適な選択をするかどうかには関係なく、企業支配における株主の立場を強化することは、富める者をより富ませ、貧しいものをより貧しくさせる効果があるわけだ。

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