JR貨物から消えた「DD51」、完全引退はいつだ? かつては「SLの敵」、現在は希少種で大人気

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国鉄から蒸気機関車が消えたのは1976年のことで、北海道の追分での入換作業が最後だったのだが、DD51は1978年まで製造された。蒸気機関車だけでなく、他のディーゼル機関車を置き換える目的でも造られたからだ。最後の製造目的は、成田空港を発着する飛行機の燃料を運ぶ貨物列車を運行するために造られたもので、今回JR貨物で引退したDD51のうち、1801号機には引退を惜しんでヘッドマークが取り付けられたが、この機関車も最後に造られたDD51のグループの1両だ。

亀山付近を走るDD51(写真: BREZZA/PIXTA)

最終的にDD51は649両が造られたが、この頃には国鉄の経営状況が悪化して貨物列車が削減される傾向にあったほか、電化が進んだこともあって国鉄末期にはディーゼル機関車が余剰となってしまった。

DD51も余剰整理の対象となり、国鉄が分割・民営化された時点でJRに継承されたDD51は259両と4割にも満たない。このうちJR貨物が継承したのが137両で、JRに引き継がれたDD51のうち、JR貨物が保有したものが最も多かった。ちなみに、JRは北海道から九州までの旅客6社とJR貨物に分かれるが、このうち四国ではDD51が本格的に使用される機会がなかったこともあり、JR四国を除く各社が引き継いだ。

JR貨物が引き継いだDD51は貨物列車向けだが、JR東日本やJR西日本では自社の旅客列車や工事列車などで使用されたほか、貨物列車の牽引を受託していたこともあった。国鉄時代は旅客列車と貨物列車の牽引が混ざっていたことがあり、この流れを引き継いだものとなるだろうが、JR化後も貨物列車の廃止が進み、現在はなくなっている。

また、JR東海では2007年まで、JR九州では1999年までDD51を保有していたが、いずれも臨時列車用だった。JR九州では2001年に筑豊本線が電化されるまでDD51が牽引する客車列車が走っていたのだが、このDD51はJR貨物の機関車で、JR貨物の機関車が旅客列車を牽引していた。JR北海道では夜行列車の牽引でDD51が活躍、北海道新幹線の開業に伴って急行「はまなす」の牽引を最後として2016年に引退している。

凸車体のディーゼル機関車

ここで、DD51のメカニズムに触れておきたい。DD51は車体の中央部に運転台があり、両端にエンジンを1台ずつ搭載している。

当初のエンジン出力は1000馬力だったが、増備過程で改良形が登場して1100馬力に増強された。改良形のエンジンでは、インタークーラーを用いてエンジンに送り込む空気を冷却し、より多くの空気をエンジンに送り込むことで出力を増強させている。エンジンで発生した動力は、運転台側に付く液体変速機を経由してエンジンの真下にある台車・車輪に伝えられる仕組みだが、液体変速機では速度に応じて3段階の切換が可能で、低速では大きな力が出るように、高速では速さを重視した切換が行われる。

【2021年4月8日13時20分 追記】記事初出時、エンジン構造の記述に誤りがありましたので、上記のように修正しました。

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