JR貨物から消えた「DD51」、完全引退はいつだ? かつては「SLの敵」、現在は希少種で大人気
DD51は液体変速機の構造から「液体式のディーゼル機関車」と呼ばれるが、その構造は自動車のオートマチックのトランスミッションに似ている。だが、DD51では動力を切り離すクラッチの機構はなく、トルクコンバーターと呼ばれる部品に油を充填したり、排出したりすることで、動力の入り切りを行っている。扇風機の前に風車を置くと、扇風機につられて風車が動くのと同じ仕組みで、油を使って動力を伝達すれば、すり減る部品がなくなるという考え方だ。
また、中央に運転台があるという構造も、DD51ならではのものだ。小さいディーゼル機関車では、入換作業で進行方向が頻繁に変わるために、この構造が好まれるが、DD51の場合は軽くて経済的な車体構造とするために凸形となっている。この結果、エンジン部分の保守を行う際は、蓋を開くか車体自体を取り外す形となり、点検したい箇所へ簡単にアプローチできるようになっている。
いろいろあるDD51
649両が製造されたDD51だが、最後に造られたDD51の番号は1805で、数が合わない。
これは増備過程で番号を飛ばしたためで、1号機と2~4号機で2回ほど試作を行い、5号機から量産となって53号機まで造ったあと、番号が501に飛んでいる。これが500番代と呼ばれる重連形のグループで、DD51を2両つなげても片側の車両に運転士が居れば運転できる構造にしたものだ。DD51は、10パーミル(1km進んで10m登る)の勾配で1000tの貨物列車(コンテナ車20両分)を1両で牽引できる性能を持つが、勾配がきつい路線や寝台特急「北斗星」のようにスピードを稼ぐ必要がある場合には「重連」と言って機関車を2両つなげて使用された。
また、旅客列車向けの設備として暖房用に蒸気発生装置を備えていたが、貨物列車では暖房設備は必要なく、貨物列車に特化して蒸気発生装置を省略したグループとして800番代が登場した。500番代と800番代は並行して造られたのだが、500番代は799に、800番代は899まで番号が進んで行き詰まってしまったので、500番代では1001に、800番代では1801に番号を飛ばしたため、番号が大きくなっている。
JRに引き継がれたのは500番代と800番代のグループで、残りは国鉄末期に廃車して整理しているのだが、解体されずに残された車両もあり、1号機は碓氷峠鉄道文化むらで保存されている。1号機の登場当時、DD51の色は茶色だったのだが、増備過程で朱色と白・灰色を組み合わせた塗装となり、これが国鉄のディーゼル機関車の標準色となった。DD51では塗り分けが異なる車両があったほか、JR化後は一部の車両で塗替えも行われ、JR北海道のDD51では寝台特急「北斗星」で客車の色に合わせて青に塗り替えたほか、JR貨物では更新工事を行って老朽化した部品を交換した車両を塗り替えて区別していた。
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