三陸鉄道「特別列車」30人の乗客だけが聞いた話

3月11日の記憶を社員が語り継ぐ4時間半の旅

10年前、山蔭さんは運転指令を務めていた。震災当日の朝、次の担当者に業務を引き継ぎ、昼過ぎに自宅に戻り一眠りしようかと思ったときに大きな揺れが襲った。すぐに着替えて会社に戻り、走行中の列車の安全確認を行った。

上下で色の違う防潮堤。やや黒い下半分が震災前からあった部分で、津波が乗り越えたため上部をかさ上げした(記者撮影)

山蔭さんが担当していた区間では4列車のうち3列車が駅構内にいて無事だったが、1列車がトンネル内を走行していた。大きな揺れに運転士は「トンネルにぶつかるかと思った」と、山蔭さんに話した。運転士が乗客を大船渡市内の避難所に送り届けて会社に戻ったのは夜8時近く。本震から5時間が経っていた

沿線の工事は今も続く(記者撮影)

吉浜駅の近くではこんな説明があった。「この道路は海抜20mですが、明治三陸大津波や1933年の昭和三陸大津波でたくさんの犠牲者を出した経験から、ここより低い場所に家を建てるな、人を住まわせるなとずっと言われてきました。この言い伝えが守られ、吉浜地区は犠牲者がゼロだったのです」。

一方の唐丹駅。多くの人は少しでも高いところへと避難したが、「駅ホームは高架だから大丈夫」と考えてホームの上に避難した人も何人かいたという。しかし、津波の高さはホームを上回り、ホーム上のあらゆるものを流し去ってしまった。ホームの柱には津波がここまで到達したことを示す線が引かれている。

ディーゼルカーが対策本部に

釜石駅で説明は三浦芳範さんに変わった。釜石―宮古間はJR東日本が山田線の一部として運営していたが、復旧後の2019年に三陸鉄道に引き継がれた。車窓から山田湾が一望できる。ホタテやカキの養殖が行われている様子が見える。「ホタテの価格は1枚200〜300円ですが、震災直後は1枚500円まで値上がりしました」と三浦さん。岩手産のホタテがいかに需要を支えているかを物語るエピソードだ。

陸中山田から冨手淳さんが引き継いだ。震災当時、宮古駅に隣接する三鉄本社にいた。津波が来るというので近くの陸橋に避難したが、膝上程度の浸水で済んだ。日が落ちた頃本社に戻ると停電しており真っ暗で何もできない。

そのとき、冨手さんは定時に出発できなかった車両がホームに停車したままであることを思い出した。「車両に行きましょう」。エンジンをかけると電気がつき、暖房も入った。三陸鉄道が非電化だったことが幸いした。電化されていたらこうはいかない。本社にあったホワイトボードを社内に持ち込み、それから1週間、列車内が対策本部となった。

筋金入りの鉄道ファンでもあり、三陸鉄道とファンの架け橋役を務めてきた冨手さんは3月末で定年を迎える。入社は1983年。三陸鉄道の営業開始が1984年なので、まさに「三鉄」とともに歩んできた会社人生だ。

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