42年ぶり復活「多摩湖駅」、複雑な西武線の歴史 同名や似た名の駅が複数誕生、ややこしい変遷
東村山文化園が開業してから約半年後の1950年8月1日、同園の遊戯施設として軽便鉄道の「おとぎ列車」が多摩湖ホテル前―上櫃堤間に運行を開始した。
翌1951年9月16日には埼玉県所沢市に開園したユネスコ村まで路線を延伸。このとき「おとぎ列車」は地方鉄道に転換し、西武鉄道山口線(二代目)となった。多摩湖ホテルは1961年に廃業したため、1963年7月1日に多摩湖ホテル前駅を西武遊園地駅に改称した。これが初代西武遊園地駅となる。
一方、多摩湖線の多摩湖駅は1961年9月1日に路線を0.4km延伸、かつて村山線の終点があった付近を鉄橋で乗り越えて現在の場所に移転した。これにより多摩湖駅が西武遊園地への最寄り駅となった。
そして1979年3月25日に多摩湖線多摩湖駅を二代目西武遊園地駅に改称。これに伴い山口線の西武遊園地駅を遊園地前駅に改称した。
山口線は新交通システムへ転換することになり、1984年5月14日に運行を休止。その際に遊園地前駅とユネスコ村駅が廃止された。新交通システムとなった山口線は多摩湖線と狭山線を連絡する西武遊園地―西武球場前間の路線となり、1985年4月25日に再開業。同時に中間に遊園地西駅を新設した。
前述の通り、この遊園地西駅は3月13日に西武園ゆうえんち駅に改称された。
ライバル時代の遺構
100年近くにわたって複雑な歴史がある多摩湖エリアの西武線。その間に廃止された路線や駅が存在する。
村山線の野口信号場跡は、西武園線から見ることができる。東村山駅を発車した西武園線の列車は西武園駅の手前で右にカーブするが、この地点が野口信号場の跡だ。分岐点には村山線の用地が残っており、そのことは設置されている柵でも確認することができる。
分岐した村山線の廃線跡は道路になっている部分や住宅になっている部分などさまざまだが、周囲の道路や住宅と並び方が違うことが廃線跡をうかがわせる要素となっている。
村山線の村山貯水池駅跡も宅地化された。しかし駅から村山貯水池へ向かう道路が、後から整備された道と不自然な繋がりかたをしている。90年前に熾烈な観光客誘致合戦があったとはとても想像できないほど多摩湖周辺は静かだ。しかし今でも景色を楽しみながらのんびりと過ごせる場所としての魅力はある。
機会があれば散策ついでに昔の誘致合戦を思い浮かべてみるのも一興かもしれない。
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