42年ぶり復活「多摩湖駅」、複雑な西武線の歴史 同名や似た名の駅が複数誕生、ややこしい変遷

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(旧)西武鉄道のルートが確定したことで、多摩湖鉄道は1936年12月30日に路線を0.9km延伸し、正式な村山貯水池駅を開業させた。

正式な場所に移転した村山貯水池駅は築堤部分にあり、現在も車止めの跡が確認できる。この駅は後に狭山公園前駅を経て多摩湖駅に改称された(筆者撮影)

この場所は現在の狭山公園管理所の隣で、(旧)西武鉄道村山貯水池前駅の南西20mほどにあり、貯水池に一番近い駅となった。仮駅は村山貯水池駅寄りに移設して、武蔵大和駅に改称した。このときはまだ(旧)西武鉄道は村山線の延伸を諦めていなかったが、結局1939年1月27日に延伸を断念し、村山貯水池前駅は正式な駅となっている。

村山貯水池から狭山公園を望む。公園の右上に見える築堤が初代村山貯水池駅→狭山公園前駅→多摩湖駅跡で、左に見える跨線橋が現在の西武遊園地駅。その間にある鉄橋の向こう側が村山貯水池前駅→狭山公園駅→二代目村山貯水池駅。なお、(旧)西武鉄道は右手前に300m延伸する計画があったが頓挫した(筆者撮影)

多摩湖鉄道は1940年3月12日、同じ箱根土地傘下の武蔵野鉄道に合併されて武蔵野鉄道多摩湖線となった。同鉄道は現在の西武池袋線の前身で、池袋から所沢を経て飯能に至る路線を1915年4月15日に開業させていた。(旧)西武鉄道とは所沢と都心を結ぶ鉄道としてライバル関係にあり、共用していた所沢駅では露骨な集客合戦を行っていたという。

ややこしい駅名変更合戦

武蔵野鉄道は所沢から村山貯水池を目指し、1929年5月1日に山口線(初代、現在の西武狭山線)西所沢―村山公園間を開業させ、グループ会社の多摩湖鉄道とともに村山貯水池観光ルートを形成した。しかし(旧)西武鉄道が村山貯水池前駅を開業させると、武蔵野鉄道は1933年3月1日に村山公園駅を村山貯水池際駅に改称している。

1941年に政府が村山貯水池駅、村山貯水池前駅、村山貯水池際駅の駅名改称を指導した。これは戦争で貯水池が攻撃目標となるのを避けるためだった。この指導に基づき、(旧)西武鉄道は3月1日に村山貯水池前駅を狭山公園駅に改称した。すると、4月1日には武蔵野鉄道が村山貯水池駅を狭山公園前駅に改称。今度は多摩湖線側が「前」を付けた。その一方で山口線の村山貯水池際駅は村山駅に改称し、観光客誘致合戦の主戦場を多摩湖線に一本化した。

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