コロナ禍で問われる「宝塚歌劇経営」の底力 3密対策はファンとの「お約束」を壊す可能性も

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宝塚大劇場公演は通常、芝居とショーの2本立てである。実際に再開後の舞台を見て、芝居では3密回避策の影響はさほど感じられないが、やはり「密」な状態が当たり前であったショーの演出は、いくら工夫を凝らしてもファンの目には「何かが違う」という違和感が残ってしまっている。

私は、この「何かが違う」というファン心理が何より怖いと感じている。

なぜなら、ファンが価値を置いているのは、芝居、ショーの質のよさもさることながら、長年応援している生徒の舞台での振る舞い、演技、そして「これぞ宝塚歌劇」という差別化要因=「世界観」であるからだ。

3密回避策の徹底により、裏方も含めこの「世界観」が失われていくことはつまり、差別化要因を消失することにつながりかねない。応援するスターの退団を契機に、宝塚歌劇を離れる顧客の割合が増える可能性もある。

ディープなファンは「ごひいき」が退団すれば、次に新しいひいき(若手)を発掘してファンを継続するという「再生産」の仕組みが機能していることが宝塚歌劇団の経営の大きな強みとなっている。ある一定数の既存顧客が若手スターのファンになる「再生産」が機能すれば、企業経営にとって大きな比重を占める「新規顧客開拓コスト」が節約できるのである。

したがって、3密回避策の徹底により再開された公演形態ならびに作品制作内容が、その「世界観」を毀損することは大きな痛手となるのは確実だ。

一度離れた顧客を取り戻すには、顧客維持コストの最低でも5倍以上はかかると言われている。このように、3密回避策を徹底することは興行継続に必須ではあるが、宝塚歌劇の存在意義を問われる事態を招来しかねないのである。

利益確保に走れない理由

また、宝塚歌劇経営は、ビジネスモデルが完成されているがゆえのジレンマに陥っている。宝塚歌劇には、創って作って売る「垂直統合システム」、ファンとの「価値共創」、そして宝塚独特の「お約束」がある。

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「密」が不可避な演出の数々、どんな作品であっても最後は26段の「大階段」を使って締めくくる華やかなパレード、ロングランしない興行スタイル、男役トップスターを頂点とするスターシステムと安定した代替わり等々。

このような「お約束」が宝塚歌劇の「世界観」を構築しており、それが顧客に信頼を与え、価値共創に積極的に参画してもらうことでトータルコストを削減する。これが宝塚歌劇の完成されたビジネスモデルだ。

コロナ禍の世間に目を転じると、現下のような非常時には、各企業ともなりふり構わず利益確保に走っている。

宝塚歌劇も利益を確保するのであれば、ロングラン公演に踏み切ることを手始めに、5つの組の中でも人気度によって1公演当たりの上演回数を調整する、そして相対的に安価と言われているチケット代の値上げ等の「即効薬」が存在する。

しかしながら、それらを実行して短期的には収益、利益が上がったとしても、さまざまなファンとの「お約束」を反故にすることとなり、中長期的には深刻なファン離れを誘発する=経営危機的局面を迎えることは容易に想像できるところである。

これが、宝塚歌劇経営における完成されたビジネスモデルであるがゆえのジレンマなのである。

森下 信雄 阪南大学流通学部准教授、元宝塚総支配人

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もりした のぶお / Nobuo Morishita

1963年、岡山県生まれ。86年、香川大学卒業後、阪急電鉄に入社。98年、宝塚歌劇団に出向。制作課長、星組プロデューサー、宝塚総支配人などを歴任。2011年、阪急電鉄を退職、関西大学等で講師を務める。18年、阪南大学流通学部専任講師、19年から現職。著書に『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』(KADOKAWA)、『タカラヅカの謎』(朝日新聞出版)がある。

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