「水を得た魚」とはこのことだろう。一橋家に仕えて3年でこれだけの財政政策を実行に移した渋沢。あとは、その効果を追い、結果に応じて適宜対策を打つ……はずだった。
ところが、運命の歯車が再び、狂い始めることになる。
「一橋家の財政に力を尽くして、藩の力を増進しようという計画を立てつつありましたが、ここに一つの不愉快なる事件に直面したのです」
不愉快なる事件――。それは、徳川慶喜の将軍就任である。
慶喜の推薦でパリの万国博覧会へ
慶喜が第15代将軍に就任することが決まると、渋沢は一橋家ではなく、江戸幕府に仕えることになった。一見、出世の道が広がったようにも思えるが、幕臣の末端になったところで、何ができようか。ましてや幕府はすでに死に体である。少なくとも渋沢はそう予見していた。
「ここ一、二年の間にはきっと徳川の幕府が潰れるに違いない。ぼんやりこのまま幕府の家来になっていては、別に用いられもせず、またあえて嫌われもせず、いわば可もなく不可もないまま、ついに亡国の臣となるに違いない」
ここを去るより仕方がない――。そう思い詰めたときである。
渋沢は、慶喜の側近、原市之進から呼び出される。そして「パリで行われる万国博覧会に随行しないか」と誘われたのである。渋沢を推薦したのはほかならぬ徳川慶喜で、こんなふうに伝えていたという。
「栄一こそこの任務にふさわしく、未来に多くの希望を託せるであろう」
期待したとおりにはいかないのが人生だが、そこから新たな道が開けることがあるのもまた人生である。渋沢はその場でフランス行きを快諾。さらなる新しいステージ、パリへと旅立つこととなった。
(文中敬称略、第5回へつづく)
【参考文献】
渋沢栄一 、守屋 淳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)
渋沢栄一『青淵論叢 道徳経済合一説』 (講談社学術文庫)
幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)
木村昌人『渋沢栄一 ――日本のインフラを創った民間経済の巨人』 (ちくま新書)
橘木俊詔『渋沢栄一』 (平凡社新書)
岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
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