歩兵の編成が首尾よくいった渋沢だが、「軍事は自分自身にふさわしい仕事ではない」と考え、次の一手に思いを巡らせた。
「このきわめて少ない領地ながらも、それぞれに仕組みを作ってその富を増し、その結果一橋家の収納を多くするような工夫がありそうなものだ」
自分に任してほしい仕事があれば、すでに任された気持ちになって、先に提案する――。渋沢はいつもそういう仕事の仕方をしてきたが、今回もそうだった。
早速、渋沢は「米の売り方の改善」「備中での硝石製造場の設立」「播州の木綿を売り出す仕組みの考案」と、3つの具体的なプランを提示。皆から賛同を得ると、渋沢は財政や会計を担当する「勘定組頭」という役目を任されることになった。
渋沢は怒濤の勢いで提案することよって、最適なポジションを手にしたのである。
真骨頂を発揮した播州木綿の販売ルート開拓
改革はスピードが命である。渋沢はすぐさま、米の売り方を変更。商人に販売を任せるのではなく、酒造業者に酒米として販売したところ、相場より高く買ってもらえることになった。
また、備中では火薬の原料となる硝石が多く採れる。軍制の洋式化に伴い、確実に高まる硝石のニーズに応えるため、硝石製造場を開設。公約どおりにきちんと実現させている。
そして、3つ目の改革では、商人・渋沢の真骨頂が発揮される。播州で多く産出される白木綿を名物として、大阪の販売ルートを新規に開拓した。さらに、一橋家で「藩札」を発行して販売に活用。木綿の売買がしやすくなるシステムを構築して、評判を呼んでいる。
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