ゴーンの右腕が法廷で吐露した「痛恨の汚点」 日産の元COOが明かしたカリスマ経営者の圧力
「経営破綻寸前の状態からリカバリーして業績を改善し成長させた素晴らしい経営者として深く尊敬している」とする一方、2005年に仏ルノーのCEOを兼務するようになり、「絶対権力を握るとそこから徐々に、独裁的とは言わないが、横暴さが際立った」(志賀氏)。リーマンショック後は再び「リカバリーモードになった。強いリーダーシップを発揮したカルロス・ゴーンは日産に必要な存在だった」。
志賀氏にとって今でも不思議なのは、来日当初から徹頭徹尾、ゴーン氏が報酬開示を忌避していたことなのだという。「その理由については本当によくわかりません。来日当時、高額納税者リストに載らないよう、確定申告の時期をズラしていた。ことほどさように報酬開示を嫌がっていた。役員報酬の開示制度も嫌がっていた。当時のカルロス・ゴーンは感情的になっていた。『何としてでも阻止しろ』と言っていた。経済3団体を通じて阻止の渉外活動もしていた」(志賀氏)。
終盤まで「ケリー」とは口にせず
一度だけ「ミスター・ゴーン」と敬称をつけた以外、かつてのボスを終始「カルロス・ゴーン」「ゴーン」と呼び捨てにしたのは、検察や日産の弁護人の振り付けだったのかもしれない。志賀氏は今回の事件で、約20回に及ぶ検察からの事情聴取に応じ、証人尋問の直前にも4回、1回当たり2~4時間の打ち合わせ(通称・証人テスト)をしたという。日産の弁護士とは3回ほど会い、「記憶が曖昧な場合に想像して話をするな」などの証人の心構えを教わったのだという。
呼び捨てを貫きながらも、「深く尊敬している」「日産にとって必要な存在」という発言を聞く限り、かつてのボスであり、日産を救ったゴーン氏を敬う気持ちを志賀氏は隠せなかったともいえるだろう。
「ゴーンに正当な報酬を支払うために、任意でもいいから」と報酬委員会を立ち上げるべく何年にもわたって尽力したことも志賀氏は法廷で披瀝した。「報酬委員会を設置すれば、グローバルなベンチマークを使って決められる」(志賀氏)。すなわち、海外大手メーカーの経営者と比較して決められるから、ゴーン氏の報酬が元の水準の20億円台になっても不自然ではない、と志賀氏は考えたのだという。
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