「ナポレオンは背が低い」が正しくなかったワケ あのライト兄弟よりも先に空を飛んだ男がいた

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「ナポレオン・コンプレックス」という言葉があるぐらいなのに(写真:WIKIMEDIA COMMONS)
みなさんが学校で習ったことは、本当に正しかったのでしょうか?
オトナになるまでなんとなく思い込んでいたけれど、真実はまったく違った! ということは意外と多いものです。
イギリスでベストセラーになっている『頭のいい人のセンスが身につく世界の教養大全』から、歴史上の有名人について、驚くべき真相をご紹介します。

ライト兄弟よりも先に空を飛んだ男がいた

Q 世界ではじめて飛行機で飛んだのは誰だ?

もちろん、ライト兄弟? そう習ったはずだ。

しかし、実は、ライト兄弟ではない。

名前はわかっていないが、ライト兄弟よりも50年早く飛行機で飛んだ男がいる。イギリスはヨークシャーの准男爵、ジョージ・ケイリー卿に仕えていた使用人だ。

ケイリー卿は、航空史の専門家のあいだで「近代航空学の父」と呼ばれる人物である。彼は鳥の飛行を科学的に観察し、その空中飛行に必要な力を「揚力・引力・推力」の3つに分類し特定した。これは人類初の快挙であった。この原理にもとづいて、ケイリー卿は飛行マシーンの模型をつぎつぎと試作する。

1804年、ケイリー卿は世界初の模型グライダーを完成させ、その5年後に実物大のグライダーのテスト飛行に成功した。ただし、これは無人機で、その後に人間を乗せてもよいと判断するまでに30年かかった。

1853年、英国北ヨークシャーの町スカボロー近くの渓谷において、この勇敢な准男爵は、嫌がる馬車の御者(ぎょしゃ)を説き伏せ、新案の飛行マシーンで谷を渡らせた。この無名の御者こそ、空気より重い機械に乗って空を飛んだ最初の人間である。この偉業に御者本人は少しも感動せず、着陸後まもなく辞職を申し出たという。

いわく「私の仕事は馬車を繰ることで、飛ぶことではありません」と。

近代技術によって「ケイリー卿のグライダー」を模したレプリカが製造され、何度も渓谷を渡ることが成功するようになったのは、1974年のことだ。現在、そのレプリカはヨークシャー航空博物館に展示されている。

ところで、ケイリー卿が後世に残した遺産は「翼」だけではない。グライダーの着陸装置を開発する際、それまでになかった画期的なホイールも考案した。軽量でありながら、着陸時の機体にかかる衝撃を吸収する十分な強度を持つ装置が必要だったため、テンションホイール(ワイヤースポークで車軸と車輪部分が結ばれたホイール)を考案した。このテンションホイールは、自転車や自動車の開発に大きく影響を与え、今も幅広く使われている。

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