「緊急事態宣言」が示す日本の法律の致命的欠点 想定外の緊急事態は「人の支配」に頼る危うさ
また、「新型インフルエンザ対策特措法や災害基本対策法などに、私権の制限を伴う緊急事態条項が規定されているのだから、あえて憲法に規定する必要はない」という意見もある。
しかし、法律は憲法による授権の範囲内で効力を定めるものだ。憲法において権利制限を伴う緊急事態条項が一切存在しないにもかかわらず、法律に私権を制限するような規定を設けることは、憲法上の疑義を生じさせる。これこそ明治憲法下の「法律による留保」の下の人権保障に近い考え方となり、人権保障の観点からは批判されるべきものではないだろうか。
国民の生命、財産を守り、人権保障を果たすため、憲法と法律の間に生じた空白を埋めるべく、憲法に緊急事態の定義、緊急事態宣言の手続き、緊急事態宣言の効力や国会の関与、有効期限、終了手続きなどについて、憲法上に明記すべきであると筆者は考える。
国家緊急権というと、どうしても国民と対峙する政府が人権を制限するという側面にばかり目がいきがちとなるが、国家が国民の生命と財産を保護する装置であることもまたもう一つの側面であることは間違いない。
憲法秩序は基本的人権の尊重のためにある
私たちは現在、法治国家の枠組みの中で暮らしており、むやみに生命や財産を奪われたりすることなく安心して暮らすことができる。
しかし、そうした秩序を破壊するような緊急事態が発生した後、国家という装置が機能しない状態で放り出されてしまえば、私たちの人権を保障してくれる装置はもはや存在しない。
国家の存立が危うくなるような緊急事態においては、一刻も早く国家機能を回復させ、人権保障の枠組みを取り戻すことが必要なのだ。
当たり前の話だが、憲法秩序というのはその終局的な目的である「基本的人権の尊重」のために存在するのであって、その逆ではない。
緊急事態法制のような国家緊急権の発動は、立憲主義の一時停止・制限を伴うものではあるが、その終局的な目的は立憲主義や人権保障の枠組みを破壊しないことにある。
その意味において、憲法の議論を避けるために、緊急事態に対する法制度を整備しないというのは、本末転倒というほかない。
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