「緊急事態宣言」が示す日本の法律の致命的欠点 想定外の緊急事態は「人の支配」に頼る危うさ

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緊急事態が起こった場合、英米法の発想に立てば、何かあれば「必要性の法理で対処すればよい」ということになる。しかし、憲法の下位規範である法律は大陸法系であるから、法律上に明文のない「必要性の法理」を発動させるかたちとなっていない。

そのため、両者の間には埋まらない空白が生じてしまっており、結果的に全体としてちぐはぐな状態になってしまっていることは否めない。

憲法と法律の間に空白が生じているということは、緊急時において人々の生命や財産を守るための法制度が存在しないことを意味している。したがって、想定外の事態が発生した場合、あらかじめ法制度がない以上、国民の生命や財産を守るために超法規的措置に訴えざるをえなくなる。

人の支配に依拠するのはきわめて危険

このような超法規的措置の発動は、為政者の人格や能力といった属人的な要素に完全に依拠するということになるが、そうした「人の支配」はきわめて危険であるというのが歴史の叡智である。為政者が誰であろうと、機能するような一定の枠組み、政治システムを用意しておくというのが、「法の支配」の考え方だ。

法律上の根拠もなしに発出された都道府県独自の緊急事態宣言は、「人の支配」の典型例であろう。国家緊急権への嫌悪感から法整備を怠り、このような超法規的措置を潜在的に内包している状態こそが、立憲主義や法の支配を根底から危機に陥れるといっていい。

怖いのは、法律に基づかない世の中の「空気」が醸成されてしまうことだ。現に地方に帰省した人たちや、集団クラスターを発生させた部活の学校などに対し、「死ね」「日本から出ていけ」といったような誹謗中傷が浴びせられ、犯罪者のように批判されるという事態も発生している。

移動の自由や営業の自由といった基本的人権を制限するためには、明確な法律の根拠を基づいて行う必要があり、法的根拠のない要請という「空気の支配」によって人権の制約が認められてしまうことは、「法の支配」の観点から到底看過しえない重大な問題なのである。

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