沖縄米軍部品落下3年、誤解される当事者の願い 普天間基地反対の主張は一度もしていない

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事故からちょうど3年となった12月7日夜、母親2人の姿が緑ヶ丘保育園の2階にあった。事故後、保護者が立ち上げた「チーム緑ヶ丘1207」会長の宮城智子さん(51)と、書記の与那城千恵美さん(47)だ。この日は東京の市民らとオンラインでつなぎ、交流集会が開かれた。

落下物事故から丸3年を迎え、オンラインで問題を訴える「チーム緑ヶ丘1207」会長の宮城智子さん(中央)、与那城千恵美さん(左)、緑ヶ丘保育園の神谷武宏園長(筆者撮影)

事故当時、宮城さんの長男は普天間第二小の6年生、長女は緑ヶ丘保育園の年長組だった。我が子の周辺で立て続けに起きた落下物事故。「まさか落ちてこないだろう」と思っていた、その「まさか」が現実のものとなった。

宮城さんの中で、ただ「うるさい」存在だった米軍ヘリが、「怖い」に変わった。戦後、沖縄で繰り返されてきた米軍関連の事故が、初めて「自分ごと」になったという。

事故後、県内外に足を運び、問題を訴えてきた。それでも「3年経っても全然変わっていません。毎日のように保育園上空を米軍機が飛んでいて、すごい音をまき散らしている。私たちの声が届いていない」と感じる。

戦闘機の爆音が響くと泣き出す園児も

実際、緑ヶ丘保育園で米軍機の騒音を測定している渡嘉敷健・琉球大学准教授(環境・音響工学)の調査によると、今年1月3日~11月25日、90デシベル(騒々しい工場内の音に相当)以上の騒音が少なくとも301回、80デシベル(パチンコ店内の音に相当)以上の騒音を含めると、計2605回確認されたという(『琉球新報』2020年12月8日付)。

戦闘機の離着陸時は特に爆音がひどく、事故から丸3年の12月7日は最大104.6デシベル、翌8日は110.1デシベルを観測(同12月13日付)。いずれも「聴覚機能に異常をきたす」レベルで、園児らは爆音が響くたびに耳をふさぎ、中には泣き出す子もいるという。

「チーム緑ヶ丘1207」書記の与那城さんも、県内外を駆け回ってきた。生まれも育ちも、米軍普天間飛行場のすぐ近く。父は基地内のレストランのマネジャーで、「米軍基地があるのが当たり前」だった。

しかし、落下物事故で「魔法が解けた」と言う。「今までは米軍機が危険という認識がなかった。事故があって、命の危険にさらされているような所に住んでいると気づいた」。

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