沖縄米軍部品落下3年、誤解される当事者の願い 普天間基地反対の主張は一度もしていない
「保育園の上空を飛ばないで」
沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園の母親らはそう訴え続けている。
2017年の年の瀬、米軍がらみの落下物事故がわずか7日間で2回発生した。最初は保育園に筒状の部品、次は小学校の運動場にヘリの窓。それから3年経っても、状況は何ら改善されていない。
「ドーン」。2017年12月7日午前10時20分ごろ、保育園の屋根にプラスチック製の筒が落下した。けが人はいなかったが、園庭では2、3歳児クラスの園児らが遊んでいた。落下地点が数十センチずれていれば、園庭に落ちていた可能性があった。
米軍はCH53E大型輸送ヘリの部品と認めた一方、「在庫はそろっている」として飛行中の落下を否定。それらが報道されると、保育園には「自作自演」「早く自首しろ」といった誹謗・中傷の電話やメールが相次いだ。
それでも母親らはすぐに動いた。「事故の原因究明」や「保育園上空の飛行禁止」など3点を求める嘆願書を、沖縄県知事や沖縄防衛局に提出。約14万筆の署名も集め、防衛省に提出した。上京し、これまでに政府要請を3度行った。その場で「米軍に飛行ルートを守らせてください」と訴えた。
保育園や小学校は本来「飛行ルート外」
ここで言う飛行ルートとは何か。2004年8月、沖縄国際大学の構内に、隣接する米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリが墜落した。日米両政府は2007年8月、この事故に関する報告書に合意。普天間飛行場を離着陸するヘリの場周経路、つまり飛行ルートを再検討し、設定した。
緑ヶ丘保育園も、重さ7.7キロのヘリの窓が落下した普天間第二小学校も、この飛行ルートに入っていない。それならなぜ、落下物事故が起きたのか。実は報告書の飛行ルートの部分には「できる限り」(as much as possible)との文言があり、以前から形骸化が指摘されている。ルート外の飛行は、沖縄防衛局による米軍機の航跡調査でも確認されている。
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