「偏向報道」批判は、沖縄の現実を見ていない 「沖タイ」「新報」が示すジャーナリズムの未来

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山田健太氏の専門は新聞ジャーナリズム、出版における表現の自由。研究と実践を大学の場から発信していく(撮影:ヒダキトモコ)
沖縄の新聞は偏っているのではないか―。沖縄県の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」の報道姿勢に対してそんな声が高まっている。対して専修大学人文・ジャーナリズム学科の山田健太教授は、2紙の姿勢はこれからのジャーナリズムの在り方として間違っていないという。『沖縄報道』(ちくま新書)で沖縄メディアと社会の歴史、そしてマスコミの現状を概観し「偏向報道」と批判される構造を明らかにした山田氏に聞いた。

マスコミ内部にもある「沖縄の新聞=偏向」イメージ

――なぜ沖縄の2紙の報道の在り方に注目したのですか。

「沖縄の2紙は偏向している」「偏向しているとまでは言えなくても変わった新聞」というイメージが、ネットは言うまでもなく一般市民社会の中、そしてメディア業界にもある。先に結論を言ってしまえば、むしろ沖縄の新聞が変わっているのではなく、沖縄の新聞、あるいは沖縄の社会が真っ当であって、それ以外の日本の新聞のほうが少し変わってしまっているのではないかと思います。

本来のジャーナリズムの有り様というのは、今の沖縄の新聞やメディア、あるいは沖縄の社会を見るほうがより見えてくるのではないか。沖縄のメディアをきちんと検証することによって今の日本のジャーナリズムが抱えている問題をもう一回きちんと見ることができると考えました。

もちろん前提として1年前に「忖度」が流行語になったように、「同調メディア」と言われたり、あるいは「政治性」などを理由にして実質強い自主規制が行われているのではと、多くの人が危惧感を持っているということもまた事実です。その危惧感、ある種の空気感を時代的な流れの中で、客観的にとらえておく必要があるのではないかと思いました。

――今の新聞批判には「偏向報道」がやり玉にあがります。その背景にはどのようなことがあるのですか。

狭い意味での偏向報道は、もっぱら政権に対する批判を指しています。したがって、今の日本の社会における偏向報道批判というのは、政権への悪口は許さないという意味の批判であるというのが特徴的です。

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