「偏向報道」批判は、沖縄の現実を見ていない 「沖タイ」「新報」が示すジャーナリズムの未来

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社会の空気もそれを支えているということもあります。もう一方では、メディアは中立公正であるべき、客観報道すべしという明治以降の日本のメディアの強い伝統です。それが日本社会全体のある種の合意になっている。それに反するメディアはよくないメディアということになるわけです。そのイメージの上に偏向批判が被さり、ターゲットになっているのが沖縄の新聞です。

この間ネット上のアンケートで突出して嫌いなメディア、よくないメディアは朝日新聞となっていました。けれども皆紙面をしっかりと読んでるわけではないんですよね。ネット上のイメージとか、あるいは人から聞いてできたイメージ。そこに公立中正であるべきだというベースがあり、誰かが偏向だというのを聞いてイメージが固まっていく、あるいは助長されていくという状況があります。

――沖縄の新聞2紙を批判している人で、実際に手に取って読んでいる人がどれだけいるのか疑問です。

入学したばかりの学生に聞いてみたところ、9割方がなんとなく沖縄の2紙は偏向してるという先入観を持っている。『琉球新報』、『沖縄タイムス』の紙面を見せると、「やっぱり変わってる新聞ですよね」と最初は言います。ではどこが変わっているのか。中身を読んだり客観的なデータを参照したりすると「普通の新聞だよね」「言うべきことは言っている」と考え方が変わっていきます。

私の勤める大学の授業「沖縄ジャーナリズム論」で、1週間現地でのフィールドワークをします。米軍基地のある普天間や高江で、オスプレイの騒音に悩まされている住民の話を聞きます。基地に入ってアメリカ軍の話も、辺野古移設派の政治家の意見も聞きます。そこで沖縄の現状を知る。そして現地でどんな報道がされているのかを読む。同じことを全国紙ではどう書かれているか比べてみる。それによって報道が抱えている問題を理解するんですね。

紙面で平等に扱うことがアンバランス

――報道の量に関して「紙面でアンバランスであることがむしろ社会全体の情報量のバランスをとる行為といえる可能性が高い」という言い方をされています。

客観中立が当たり前の状況、あるいはその公平さ、記事の量的な平等性が日本では絶対視されているという状況を見直していく必要がある。沖縄報道に限りませんが、特に日本のメディアの場合は発表ジャーナリズム、ほぼ「権威ジャーナリズム」なわけですよね。権威から発表をもとに記事を書く傾向が強い。沖縄報道でいうならば、政府や官邸発表の情報が世の中には流れやすくなってしまう。

「ネットに出てこない情報を紙面化することに意味がある」(撮影:ヒダキトモコ)

実際に記者の数だって、全国紙の場合は圧倒的に(沖縄を取材する記者よりも)政治部の記者が多いわけですから、そちらからの情報が増えるわけです。それを紙面上で平等に扱ったら、ますますアンバランスになってしまう。

それにとりわけ沖縄の状況が難しいのは、ネット上に「沖縄ヘイト」情報が多いこと。今や活字媒体や地上波媒体まで増えてる。その状況を考えると、よりしっかりした正しい情報や、ネットには出てこない情報を紙面化するということは意味があることです。

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