本当に人間のすべてがデジタルに解析できるか否か、その問題を今ここで俎上に乗せようとは思わないが、ここで重要なのは、それが錯覚であれ、あたかもすべてが解析されてしまうかのごとき感覚を持つ人間の性である。そしてそれは、自らの精神による主体性への懐疑を生み、ある種の無力感を生んでいるようにも思える。
ちなみに私はそれを「デジタル・アパシー」と勝手に呼んでいるのだが、悲喜劇的な事態ではある。私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?
自分で設定したパスワードが思い出せずに冷や汗をかくぐらいはご愛嬌だが、「人が選択するよりデータに基づく選択のほうが正しい」「AIに人生の目的を設定してもらうほうが楽だ」といった声まで聞くようになると、少し恐ろしくなる。実際、現在のデジタルテクノロジーによる資本主義は私たちに不思議な「夢」を見させるのだ。それは、希望なのか? 悪夢なのか? そこでも私たちは立ち止まり、安易な二元論の選択に乗らないことだ。
2016年春に始まり、翌年以降新春恒例の番組となった「欲望の資本主義」の中にあっても、このデジタルテクノロジー主導の経済の変化については、毎年重要な問題の1つとしてきた。新たに2021年元日にお送りする新作も、この混迷する状況の中にあって技術の問題は避けて通れそうにない。
もちろん今回はパンデミックという思わぬ事態の影響から語り始めることになるが、コロナが浮き彫りにしたのは従来からの本質的な問題であり、構図は変わらず、状況をさらに加速させただけともいえる。デジタル資本主義による格差の拡大、ゲーム、オンラインなどの伸び……、失業、倒産などの憂き目に遭う人々を尻目に、ネット空間の中の「バーチャル」経済は躍進する。
そこで注目を浴びているのが「無形資産」なる概念だ。
「無形資産」が生み出す渦巻き その力が及ぶのは…?
「見えない資産」とも言われ、英インペリアル・カレッジ・ビジネススクールのジョナサン・ハスケル教授らによって示された「無形資産」なる概念が、現代の資本主義にあっては企業価値を左右するものになっている。
無形資産とは、モノとして実態の存在しない資産だ。例えば特許や商標権や著作権などの知的資産、人々の持つ技術や能力などの人的資産、企業文化や経営管理プロセスなどがこれにあたる。
これは実体を伴わない資産であることから、会計制度上では原則として資産として計上することはできなくなっているが、そこを見直していく気運も高まっているようだ。現金、証券、商品、不動産など実態の存在する資産である「有形資産」とは異なり、計測の仕方が難しいであろうことは想像にかたくない。
しかし、この文字どおり形を持たない資産、ソフト、ブランド、アイデアなどが、今、経済を動かす主力となっている。GAFAの強大化に象徴されるように、その求心力になっているのは、情報であり、インテリジェンスであり、未来への可能性なのだ。
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