箱根駅伝の名脇役、登山電車が育てた地「強羅」 政財界の大物が集った箱根の「新しい温泉地」

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戦後、箱根は進駐軍からも人気を博し、箱根登山鉄道は進駐軍専用列車を運行することになる。また、富士屋ホテルや強羅ホテルといった箱根の高級旅館もGHQに接収された。そうした混乱を経ながらも、戦後の箱根登山鉄道は小田急系列に加わったこともあり、1950年から小田急の電車が箱根湯本駅まで乗り入れを開始する。同年には、戦時中に運休していたケーブルカーの運行も再開した。

こうして鉄道網が整備されたことで、箱根は東京と直結するとともに観光ルートが形成されていく。戦後復興の追い風も加わり、箱根には多くの観光客が押し寄せるようになった。ブームが到来し、小田急と西武は観光客争奪戦を繰り広げるようになる。「箱根山戦争」は企業間戦争として世間の耳目を集めたが、周辺の観光インフラ・コンテンツを充実させる効果を生み、その影響は湯河原・熱海・伊豆、さらには富士山周辺にまで及んだ。

箱根ブームに拍車をかけたのが、温泉の掘削技術が向上したことだった。それまでは温泉の掘削には大資本を必要としたが、住民たちが資金を出し合う組合でも温泉掘削が可能になり、箱根一帯ではあちこちで温泉の掘削が進められた。明治期は「箱根十二湯」にまで増加したが、高度経済成長期はさらに「箱根十七湯」まで増加している。こうした温泉掘削ラッシュにより、強羅駅一帯には企業の保養所も増えていく。

台風・コロナを乗り越えて

バブル崩壊後、箱根の観光地化は一時期の勢いこそ失ったものの、それでも観光客は堅調に増えつづけた。また、強羅には函嶺白百合学園中学校・高等学校があることから、朝は通学需要がある。箱根登山鉄道は輸送力の増強に対応するべく、1993年に3両編成化している。

箱根登山鉄道の名所として知られる「出山の鉄橋」(早川橋梁)を渡る新型車両3000形「アレグラ」(編集部撮影)

2010年代に入ると訪日外国人観光客が増加し、東京近郊の観光地として箱根は活気を取り戻していく。しかし、2019年に発生した台風19号による被災で、箱根湯本駅―強羅駅間が運休に追い込まれた。台風19号の影響は強羅にも大きく響くことになる。復旧を急いだ箱根登山鉄道は、当初の予定より約3カ月早く運転を再開した。しかし、今度はコロナの影響があり、客足は戻ったとは言いがたい。

箱根登山鉄道は1世紀にわたって箱根を支えてきた。箱根は日本全体の観光地を、業界を牽引する存在でもあった。それだけに、箱根を支えてきた箱根登山鉄道の動向は注目を集める。台風、コロナと続く災禍で困難な状況が続くが、完全復活が待たれる。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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