「危険な女神」歌手KATSUMIが見たバブルの裏 人気絶頂のときを経て、選びとった道
「バブルの象徴と言われるのは嫌ではないし、どうぞどうぞって感じです(笑)。ただ、自分ではそういうふうには思っていなかったですね」
バブル経済真っただ中の1990年に、レコード会社・パイオニアLDCの“J-POP第1号歌手”として華々しくデビューしたKATSUMI。キャッチーな楽曲で数多くのCMソングに起用され、大ブレイクを果たした。
「当時の事務所が六本木にあったのですが、事務所の駐車場代だけで自分が住んでいたアパートの家賃ぐらいするのを知って驚いた記憶があります。僕自身は給料制だったこともあり、バブルとはほど遠い生活を送っていましたね」
ソバージュヘアに俳優顔負けのイケメンという見た目から都会的なイメージがあるが、実は茨城県出身。東京へ来たばかりのころはなかなかなまりが抜けず、苦労したという。
「音楽の専門学校に通うために上京したのですが、なまっているのが恥ずかしくて、最初のころはあまり話せなかったですね。当時はDCブランドブームだったし、田舎者だと思われたくなかったので、バイト代はバンド活動と洋服代に消えていました」
似た曲ばかり求められるように
専門学校卒業後もバンド活動を続けていたところ、24歳のときにチャンスが訪れる。
「22歳のときにやっていたアマチュアバンドのデモテープが音楽関係者の目にとまり、事務所に所属することができたんですが、なかなかデビューができなくて。給料はもらえていたけど、いつデビューできるかわからない状態だったので、辞めようと思い事務所の社長に電話をしたんです。そしたら“さっきレコード会社が決まったよ”と。ドラマみたいなできすぎた話ですけど、実話です」
1990年4月にメジャーデビュー。そして2枚目のシングル『危険な女神』が、カメリアダイヤモンドのCMソングに起用されたことで、一気に注目を集めることに。
「いざデビューしてみると、レコード会社からの期待なども強く、プレッシャーのほうが大きくなっていって……。そこからは事務所が用意したみこしに乗せられて、どんどん進んでいった感じでしたね」