「賛否両論のナイキCM」に怒る人が的外れな理由 「何かを信じろ。全てを犠牲にしてでも」の真意

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キャパニックは2016年に、警察による黒人への暴力に抗議して試合前の国歌斉唱で起立を拒否した。キャパニックに共感する人がいる一方で、「国旗に不敬だ」と非難するドナルド・トランプ アメリカ大統領に賛同する人も多く、アメリカの分断を象徴する社会問題に発展した。

そんなキャパニックをCMに起用するリスクは高いが、ナイキは「何かを信じろ。全てを犠牲にしてでも」というメッセージと共に公開した。

大坂なおみに共感する層

ナイキ不買運動も起こったが、CMが公開された直後の週末にはネット販売が前年同期比で31%増加した。ナイキの最も重要なバイヤーペルソナは、差別の対象になりやすい移民や有色人種の18~29歳の若者や、その友人の都市部の白人だ。

彼らは、自分の信念のためにスター選手の地位を犠牲にしたキャパニックを「英雄」として尊敬した。ナイキは、多くのアメリカ人から嫌われることを覚悟で、ブランド忠誠心を抱くバイヤーペルソナに対して強いメッセージを送ったのだ。

私が今回のナイキCMを知ったのは、お子さんがサッカーをする知人のツイートだった。彼はこの映像に「すばらしい」と感動していたし、私が普段ソーシャルメディアで交流する人たちも同意見だった。この人たちに共通するのは、普段から人種差別、いじめ、偏見に敏感で、社会をよりよくしたいという願いだ。

大坂なおみが今年の全米オープンで、警察の暴力の犠牲になった黒人の名前を書いたマスクを着けて抗議したとき、この人たちは大坂を英雄視した。彼らは、ネット上で大坂とナイキのコラボレーションを話題にしたり、ナイキ商品を自分や子どものために買ったりする。つまり、このCMが語りかけるバイヤーペルソナなのだ。

決して安くないナイキ製品をわざわざ購入する人は、ブランドの持つ価値観や信念の格好よさに加えて、仲間意識にもお金を払っている。敵がいると仲間意識が強くなることは、現在のアメリカ政治も示している。ナイキジャパンのCMをたたく日本人は多いようだが、彼らはもともとナイキのバイヤーペルソナではない。彼らがCMをたたけばたたくほど、メッセージを肯定したくなる人は出てくるだろう。

また、ナイキのCMを見るのはその国の人だけではない。アジアでは、中国などのほうが日本よりはるかに重要な市場となっている。バイヤーペルソナではない人々が「日本をおとしめるな」と怒るのは、多くの意味で的外れだ。

<2020年12月15日号掲載>

渡辺由佳里(わたなべ ゆかり Yukari Watanabe)/アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て1995年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。
公式ブログ:「洋書ファンクラブ
<Twitter Address/https://twitter.com/YukariWatanabe
「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部

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