がん寛解した笠井アナに妻が放った衝撃の一言 自分のために働いてきた人生の大きな転換点
普段から子どもたちにやらせていなかったのは私。ブーブー文句を言われるのが嫌で、それだったら自分でやったほうがずっと早いので、洗濯も風呂の掃除も食洗機に食器をかけるのも、妻がいない時は全部私がやってしまっていたのです。それがいけなかったのです。
こういう緊急事態の時に日ごろからのしつけ、育て方が出るものだなと痛感しました。
ところが入院中に高校生の3男が卵焼きを焼いてきてくれました。それも「おばあちゃんに教わってきた」と言うではありませんか。私のためにわざわざ私の母のところに行って「おふくろの味の卵焼き」を作ってきてくれるなんて、こんな幸せなことはないです。感動しました。いい子に育ったなと思いました。
さっきとまったく逆のことを言っているようですが、いざとなったらやる子だったんだなという意味です。
危機が訪れると家族が1つになるという実例
私ががんにならなかったらこうした幸せは味わえなかったと思います。しかし、だから、がんになって良かったと言っているのではありません。「足し算の縁」、がんになってこんなことがあった、という貯金の1つが3男の料理なのです。
しかも3男は、このことをきっかけに料理に目覚め、私が退院した後などは、妻が仕事に出ていると「今日の昼は僕がつくる」と言って、焼き飯や、野菜炒めなど作ってくれるようになりました。卵焼きの腕もさらに上がり、ふんわりとほのかに甘い卵焼きを作れるようになったのです。もはや「3男の味の卵焼き」です。
一方、次男は黙っていても浴槽を洗い、台所の食器洗いも進んでやってくれるようになりました。スパゲッティ作りは次男の十八番(おはこ)です。危機が訪れると家族は1つにまとまる、とよく言われますが、その実例を私は目の当たりにしました。正直、このうえなくうれしかった。
ただ、1つ心配なことがありました。
「この幸せはずっと続くのだろうか?」
「退院したらみんな元に戻ってしまうのではないか?」
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