オークションが可能にする「新たな資本主義」 天才経済学者による「ラディカル」な思考実験

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ファヴェーラの住人たちが市内の中心部で暮らせていたら、まともな生活を送れて、公共サービスを受けられたかもしれないが、そこは富裕層が独占していて、その富裕層は犯罪を恐れてそこでの生活を楽しめないでいる。

格差を生んでいる富の一極集中は、格差を生んでいるだけでなく、政治を腐敗させ、企業活動を抑え込んでもいるようだ。世界銀行によると、ブラジルでの起業のしやすさは世界の下位10%にとどまる。

リオの問題を解決するには、次のような疑問に答えを出す必要がある。もっとよい方法はないのか。リオは格差、停滞、社会の対立を逃れることはできるのか。ニューヨーク、ロンドン、東京もまた、サンバとビーチのないリオになってしまうのか。

社会をラディカルに再設計する

問題の根源は思想にある。というより、思想の欠如にあるというべきだろう。右派と左派が生まれた19世紀、20世紀初めには、両者の主張には伝えるべきものがあったが、その潜在能力はもはや尽きている。大胆な改革が推し進められることはなく、漂うのは閉塞感だ。

社会の可能性を開くには、社会をラディカルに再設計することに私たちが心を開かなければいけない。問題を根本から解決しようとするなら、経済と政治の制度がどう機能しているのかを理解し、その知識をもとに対応策を組み立てなければならない。本書ではそれを試みていく。

市場は社会をうまく調整する最善の方法であり、中期的にそうであり続けるというのが、本書の前提である。しかし、私たちの社会は競争市場によって成り立っているとされているものの、極めて重要な市場は独占されているか、そもそも存在していない。

真に競争的で、開かれた、自由な市場を創造すれば、劇的に格差を減らすことができて、繁栄を高められるし、社会を分断しているイデオロギーと社会の対立も解消できる。

右派の人々と同じように、われわれ2人も、市場を強化し、拡張し、浄化しなければいけないと考えている。だが、われわれの見るところでは、右派には致命的な欠陥がある。市場が繁栄するために必要な社会変革のビジョンが弱く、想像力に欠ける。

右派の多くの人は、市場原理主義を支持している。経済理論と過去の経験から正しいことが証明されているといわれるイデオロギーだ。

しかし実際には、19世紀のアングロ・サクソン世界に存在したような理想化された市場へのノスタルジーにすぎない(本書では、「資本主義」という言葉を、こうした過去に存在した理想化された市場を指すものとして使っていく。この市場では、政府は私有財産を保護し、契約を履行させることに重点を置いている)。

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