女性を平気で「下の名前」で呼べる人に思うこと 駅名略す人や自ら常連と呼ぶ人と共通点がある
しかし、1つ問題が生じました。「三宿」は略しようがないのです。「ミシュ」や「シュク」にしたところで誰に伝わるでしょう。せっかく神様から合格のお告げをいただいたのに、略せない。あぁ、なんという悲劇。長い間、生活拠点となっている「自由が丘」も、略したことがありません。略称とされる「がおか」に魅力を感じないからです。略し方にセンスや品を感じない。趣味の悪い車に乗りたくないのと同じで、「がおか」と口にしたくない。せっかく資格を持っているのに。
一方で、都内の環状線は、利用回数も相当なので、胸を張って「カンパチ」「カンナナ」と発し、おかげさまで「コンビニエンス・ストア」、「ファミリー・レストラン」とはもう呼んでいません。
略してはいけないと思わせる神聖な美しさ
そんな私がずっと不思議に思っていたことがあります。それは、「祖師ヶ谷大蔵」。東京在住ならご存知の方も多い、小田急線の駅名。こんなに長いにもかかわらず、いままで略している人に遭遇したことがありません。「ソシクラ」「がやくら」「ソッシー」など、やろうと思えばいくらでもできるのに。なぜ誰も略さないのか、ずっと疑問だったのです。
しかし、答えが出ました。「祖師ヶ谷大蔵」には、略してはいけないと思わせる神聖な美しさがあるのです。見た目もさることながら、流れるようなフレーズは口にするだけで心が洗われる気分になります。だから皆、「祖師ヶ谷大蔵」と略さず呼んでいるのです。「清澄白河」「小竹向原」も、略してはいけない美しさが宿っているのでしょう。
もちろん「三軒茶屋」と「二子玉川」に美しさがないとは言いません。それよりも「三茶」「二子玉」には計り知れない語感の気持ちよさがあるのです。「んちゃ」には童心に返れる音、「ニコタマ」にはちょっと卑猥でキュートな響き。発したときの口も気持ちよく、クチスタシー指数(私の造語です)が非常に高い。接点のない人さえも口にしたくなるような快楽が伴い、略称が広く浸透する。結局、人は気持ちのいい表現を選ぶのでしょう。
「はい、ちょっと停まって!」
スクーターでT字路を曲がったときです。ちょうどそこで待ち構えていたのか、警官に呼び止められました。
「君、いま違反したのわかってる?」
「えっと、なんでしょうか?」
「あそこね、ウキンなんだよ?」
彼は道路標識を指さしています。
「ほら、ウキンの標識あるでしょ」
「ウキン?」
いったいなんのことなのかわかりません。
「気づかなかったかもしれないけど、違反だから切符切るね」
どうやら「右折禁止」を「ウキン」と略しているようでした。私は、切符を切られたことよりも、そちらにショックを受けます。
「右折禁止」に違反してしまったことはいけないのですが、取り締まる側が「ウキン」と略すなんて。何万回と発しているでしょうし、略したくなる気持ちもわかります。ただ、署内や同僚たちの間でいくら略そうが構いませんが、公の場で取り締まる際に「ウキン」と言うのは、いかがなものでしょうか。こちらのほうがむしろ、略称違反で切符を切りたくなったほどです。
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