80年代の名車シティを生んだホンダの「非常識」 本田宗一郎「若気の至りが個性の芽を育てる」
それを現すかのような斬新なフォルムで、しかもちゃんと若者向け価格(当時の車両本体価格で78万円)なのだから、人気が出るのも当然か。
加えて、ホンダは秘密兵器まで用意していた。それがシティと同時に発売された、50ccバイクの「モトコンポ」。
ハンドルやステップを折り畳めば「シティ」のトランクに収まるように、「シティ」と一緒に開発された原チャリだ。
全長はわずか1180mmしかなく、「車で出掛けた先では、トランクからバイクを取り出して、遊びましょう」というホンダからのメッセージのような“乗り物”だ。
“若気の至り”から生まれた「シティ」
さらに1983年には“ブルドッグ”という愛称を持つ、インタークーラー(ターボ機能を高める装備)付きターボエンジンを搭載する「シティターボII」が登場する。
踏み込んでから一瞬の間を空けて急激に加速する、いわゆる“ドッカンターボ”は、短い足で猪突猛進するブルドッグのイメージにも合っていた。翌1984年には幌を備えた「カブリオレ」も登場した。
発売当時、日本の会社員は、年齢や入社年次相応の車を買うのが当たり前だった。
そんな“車ヒエラルキー”のいちばん下に位置する「シティ」は、本来上級車のディフュージョン版であり、当時のホンダでいえば「シビック」の廉価版なりの見栄えが暗黙の了解だったと言われる。
ところが「シティ」は軽々とヒエラルキーを超え、「シティ」の上にほかの車はないかのように、個性を爆発させた。
なぜ「シティ」は“当時の常識”を打ち破ったのか。その要因の1つに、開発陣の平均年齢が20代だったということがあるように思う。
「大いなる若気の至りが個性の芽を育てる」と創業者である本田宗一郎は言った。そんなホンダだからこそ、若い開発陣の背中を押し、「シティ」は生まれたのだ。
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