石油の異端事業を世界へプロデュースした男 ソーラーフロンティア社長 玉井裕人(下)

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三宅:そうして2003年に、東京ガス、シェル・ガス・ヴェー・ベー、昭和シェル石油が共同出資する会社が設立され、2010年に「扇島パワーステーション」1号機が営業運転を開始したわけですね。電力事業の立ち上げでいちばん苦労したのは何ですか?

玉井裕人(たまい・ひろと)
ソーラーフロンティア社長
1958年神奈川県生まれ。80年に慶應義塾大学理工学部を卒業し、昭和石油(現・昭和シェル石油)入社。製造、供給、経営企画など、幅広い業務を担当するとともに、早くから電力事業に携わる。2006年執行役員就任。2007年より常務執行役員として、供給部門と発電事業を統括し、2013年から昭和シェル石油のエネルギーソリューション事業COOに就任するとともに、同事業の中核となるソーラーフロンティアの代表取締役社長も兼任。

玉井:JVパートナーの会社と意識を合わせ、同じ方向を向くことですね。当初、東京ガスとわれわれの思いにはそうとうギャップがありました。彼らは既にNTTファシリティーズ、大阪ガスと組んで「エネット」という会社で、新電力のサービス事業を進めていたり、袖ケ浦に10万キロワット規模の発電所を造って発電をしていたり、電力分野では我々より先行していました。

それに対してわれわれが貢献できるものは例の土地しかない。100%自分たちで好きなようにやらせてくれと言ってくる東京ガスの人たちに、われわれの参画を何とか納得してもらわないといけなかったのです。

三宅:ちょっと間違えると潰されてしまうような関係だったのですね。

玉井:チームワークをきっちり作るところがいちばん難しかったです。たとえば、プラント工事の請負事業者を選ぶときも、金額や仕様に対する考え方や文化がまったく違うと感じましたね。それをどれだけ理解し合えて、ジョイントベンチャーとしてひとつの方向を向いていけるかが問題でした。もう10年やっていますから、今は互いに相手のイメージがわかっていますけれども。

三宅:ガスと電気、ガスと石油というのは難しい関係ですよね。それがジョイントベンチャーを立ち上げるというのは、正直、驚きです。玉井さんがその先頭に立って難しい交渉をされたというわけでしょうか。

玉井:実務的にはそうですね。あと、石油会社にとっては、電力さんは重油のお客さんですし(幸い昭和シェルはほとんど売ってないので良かったのですが)、ガスさんも電力さんには配慮することもあるらしく、なかなか難しかったです。でも震災後は、お互い電力の安定供給に向けて速やかに対応しましょうという考えが共有できたので、コミュニケーションが円滑になりました。

よく聞かれる質問

三宅:さて、いよいよ太陽光発電について伺いたいと思います。東京ガスとの電力事業が落ち着いた頃に、昭和シェル石油は、2006年に昭和シェルソーラー(現・ソーラーフロンティア)を設立しました。それからずっと赤字が続いていましたが、玉井さんが社長に就任した頃の2013年第1四半期から、安定した黒字経営になりましたね。

玉井:現時点では、私が何かした結果がすでに出ているということはないと思います。ただし事業はスタートすることより成長させるほうが難しい。結婚は勢いでできるけど……というのと同じです。

三宅:なるほど(笑)。

玉井:うちには優れた技術があり、リーズナブルなコストで生産できるメリットもある。工場もできた。当初は「いつ黒字になるのですか?」と、よく質問されました。でも実際は、当時の生産コストと販売価格だけを比べると、2012年の第4四半期から十分利益は出ていたのです。ただ稼働率が上がらないときの高いコストの在庫を持っているから、全体で見ると赤字になってしまう。ですから一昨年から、かなりいい状況にあると思って見ていました。

三宅:昨年の黒字は、これまでの結果が形として見えるようになっただけということですね。

玉井:そうです。そして黒字になると、今度は「どうやって成長するのですか?」と聞かれるようになりました(笑)。次の手、次の手と、どんどん手を打っていくことが今の課題です。

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