自分がわからないものをバカにするな
都築さんが目を留めるこれらの「詩」には、ポエマー特有のポエミー臭がない。
いったい「詩」と「ポエム」を分けるものは何なのか。そもそも言葉は劣化し、「ポエム化」は起きているのか否か。その問いを都築さんは一蹴した。
「言葉は劣化していないし、『ポエム化』なんてしていないと思います。史上、これほど筆まめな時代はなく、若い人ほど文章をたくさん書いている。少なくとも『若者の活字離れ』はありえない。年配の人ほど文章を書かなくなっていますよ」
J-POPのありがちな歌詞にしても、都築さんは肯定的だ。年配の人が聞いたら、「くだらない」と感じる“ギャル演歌”も、中学生、高校生にとっては、そこに自分たちのリアルがあり、心にしみるのかもしれない。逆に、中・高生が不倫の痛みや人生の哀歓を歌った“本物の演歌”を聞いてもつまらないだろう。歌詞を味わうには、人生の経験値も作用するという。
「いい歌詞がいろいろな世代に響くとはかぎらない。バカらしいと感じるのは、自分が年を取ったせいかもしれないでしょう。自分がわからないものに対するリスペクトをもう少し持ったほうがいいのでは? わからないものをすぐにバカにするなと、私は言いたいですね」
本物を見てから、けなせ
しかし、わかりやすいから軽んじるというケースもあるだろう。たとえば、相田みつを。「居酒屋のトイレによく飾ってある『にんげんだもの』の人」という認識を多くの人が持つ。筆文字で書かれた詩的な文章を見ると、「みつをっぽい」と形容されるほどメジャーな存在だ。
「けなすのはいいですが、本物をちゃんと見てから、けなしてほしい」。相田みつをが正当な評価をされていないことを、都築さんは憤る。
「東京・国際フォーラムに相田みつをの大きな美術館がありますから、一度、本物を見たほうがいいですよ。書が意外なほど大きくて、存在感がすごい。美術館にも行っていない、詩集すら買っていないのに、評論するのはおかしいでしょう。『にんげんだもの』だけじゃなくて、その前に2行ぐらいあるわけです(笑)。それすら知らないでバカにする人がいる」
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