「詩」にあって「ポエム」にないもの
みつをはいったん置いて、「詩」にあって、マンションポエムや求人広告、ネット上に垂れ流されている「ポエム」的な文章にないものは?
都築さんは、「『詩』と『商業ベースに乗った言葉』を、同列に論じることに違和感がある。商業ベースでない文章は、みんな自由に書いたらいいじゃないですか」と、釈然としない様子。
だが、「『文学』と『商品』、あるいは『普通の言葉』はどう違うのか?」と問いを置き換えたうえで、「マーケティングをするか、しないか」「リアリティがあるか、ないか」と語った。
「『商品』は、想定購買者層を決めて、その層に向けて作るので、その時点でもうリアルではない。おカネを出してくれる人の気持ちになって書くのだから、いくら上手に書いても、それはウソが上塗りになるだけです。もしかすると自分自身ですら、その商品を全然欲しいと思っていないのに書いていたりする。
でも『文学』は、誰かに向けて書いているのではない。書かざるをえない、言わずにいられない何か切実なものがあって、自分の気持ちをぴったり表現してくれるものがほかにないから自分で書いている。自分だけのものなのです」
他人の目を意識して、そこに焦点を当てた瞬間に、言葉がウソになるというジレンマが生じてしまうのだ。
誰も踊ってなんかいない
しかし、「仮に『商品』としての言葉が『ポエム化』していたとしても、いったい何の問題があるのか?」と都築さんは聞き返す。
「読んでいる人はだいたい書いている人より賢いですから、誰も言葉で踊ってなんかいないと思います。踊っているのはむしろ書いているほうですよ。『ポエム化』『ポエム化』と連呼して特集を組んでいるメディアのほうが、よっぽど『ポエム化』しているんじゃないの?」
最後まで「ポエム化」現象を全否定する都築さんに撃沈……。
いいじゃないか
にんげんだもの
こんなとき、みつをの詩がなぐさめになるんだなあ。
(撮影:梅谷秀司)
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