「博士」という存在の扱いが、日本とは違う
――職場環境はどうでしょう? 業務内容や給与などに関しても教えてくださるとうれしいです。
日本の大学で働いたことがないので、何とも言えませんが、周りの話を聞くかぎりでは、日本と比べて、事務作業の負担が少なく、学者の主な仕事内容である研究に割ける時間が多いようです。
特に、若い研究者には、事務仕事の負担を少なくしよう、という配慮があるように感じます。給与は、正直、日本と比べるとかなり高いと思いますね。
――日本と比べ、アメリカの研究環境は整っているようですが、その分、研究者の就職活動は熾烈になっているのではないでしょうか?
確かにアカデミックポジションをめぐる競争は激しいのですが、でも、アメリカでは博士号取得者にとってのチャンスが、ある意味では日本よりもたくさんあるように感じます。
学者向けのジョブマーケットも整備されているし、雇用の枠も多く確保されています。
また、博士号を取って、コンサルティングファームや投資銀行に行く人もいるし、「博士」という存在の扱いが、日本とは異なっているように思います。
もちろん、大学院入学の競争は、世界中から猛者が集まってくるので、熾烈を極めます。僕も出願のときは苦労しました。英語もできませんでしたし、そもそも出願書類として何が必要なのかもよくわからず……。
「詰め込み教育」が助けになってくれる?
――海外の大学院留学への出願や、海外における研究者の就職活動の中で、日本人としての強みというものを、感じたことはありますか?
僕のやっているミクロ経済学に関して言えば、日本人が過去に世界的業績を上げてきたこともあり、評判が味方をしてくれるところがあります。そもそも、東アジア出身者は数学的な基礎力が高い人が多いです。
これは、いわゆる「詰め込み教育」などと批判される場合もありますが、就職の第一歩でもある留学の出願などでは、大きな助けになっているかもしれません。
ただ、同時に、東アジア出身者は英語によるコミュニケーションがヘタだ、という評判も割と定着している感があり、その点ではかなり不利になる可能性もあります。
――専門性は言うまでもありませんが、英語はどこまで必要なのでしょう?
英語はそれなりに重要です。というのは、大学やMBAで教えるために、ある程度の英語力が必須だからです。
とはいえ、経済学は、ほかの分野(特に人文・社会科学)と比べると数学などの比重が大きく、言葉による壁はどちらかというと小さいので、そこまで心配する必要はないかもしれません。
それでも、授業は今でも緊張します。最初の時期なんて、もう……。
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