暴力多発の柔道界「怒らない指導」貫く男の信念 「練習中に私語もOK」その背景にある思い

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練習風景。子どもたちに笑顔や、雑談する様子が見える(写真:紀柔館HPより)

道場を開いた1990年。ひと月足らずではあったが、欧州のスポーツクラブを視察に訪れた。すでに日本の倍近い競技人口を抱える柔道王国になったフランス、スイス、ベルギーへ。

そこには指導者と対話しながら楽しそうに柔道をする子どもたちの姿があった。送迎する親たちは、隣接するカフェでお茶をしながらおしゃべりを楽しんだり、静かに読書する母親もいた。スポーツクラブ内でほかの競技に興じる親もいるようだった。

クラブ内の空気に、親や指導者の知性を感じた。

「勝つことばかりに目を奪われず、子どもの成長や楽しむ姿を求めているんだと思った」(腹巻さん)

文武両道を目指す子どもを育成しよう――。そう意気込んで道場を開いたものの「ああ、今日もまた怒鳴ってしまったと、反省ばかりしていた。あのヨーロッパで見たような道場にしたいのに」。

ターニングポイントとなる事件以降、さまざまな変化が

行きつ戻りつの日々のなか、強烈なターニングポイントとなる事件が2013年に発覚する。大阪の市立高校でバスケットボール部のキャプテンだった17歳の男子生徒が、顧問の暴力やパワハラを苦に自殺してしまったのだ。競技は異なるが、他人事とは思えなかった。

「指導方針を考えていかないといけない。自分が変わらなければと思いました」

すぐには変われなかったが、徐々に怒鳴り声は減った。とともに、いいことも悪いことも含め、さまざまな変化が起きた。

設立から十数年経ち、県大会で優勝する全国レベルの選手も育て上げていたため、子どもや親たちから「紀柔館に行けば強くなれる」と思われていた。それが2015年頃から、競技レベルの高い子どもから順に道場を辞め始めた。

「腹巻、指導が甘いんちゃうか。最近はあかんぞ」

指導者仲間からもそんな声が聞こえてきた。

「どこかの学年で県チャンピオンを出さなくてはいけない。誰に命じられたわけでもないのに、それが自分の中でノルマになっていた。ああ、今年は届きそうにないぞと焦ると、声が大きくなったり、練習量が増えたり。活躍しそうな子を見ている時間も自然に増えていった」

自分の指導を客観視しては落ち込んだ。

一方で、妻の牧さん(47)が柔道を指導する小学生グループは、辞める子がいなくなった。

「妻の指導を見ていると、どうやったらこの子が伸びるだろうかと、あの手この手で探っていた。考える対象が、強い子だけでなく全員なんです。毎日来る子も、週1、2回の子も分け隔てなく指導していた」

腹巻さんが担当する中学生も、小学生が辞めないため少しずつ増えていく。いちばん少ないころは2~3人だったのに、元の18人前後に戻った。

V字回復できたのは、腹巻さんの指導が変化したからだ。

私語は奨励まではしていないが、「好きにしゃべっていいぞ」と許可した。子どもたちがおしゃべりするのを黙って聞いていると、私語をする子が一生懸命でないわけじゃないと知る。「この技、こうやってみたんよ」と柔道の話をしていた。会話を横から拾い上げ「そうやな。それやってみよか」と彼らのアイデアを尊重した。

次ページ「子どもと僕が対等な立場で取り組むべき」
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