たとえば、「お金」は国が運営する公共財なのだし、特に納税は国民の義務なのだから、お金の使い道のデータを全て国に渡すのは当然だと、筆者は考えている。
お金の使途が国にバレて、困ることなど庶民にはない。筆者個人は、自分の支出が全て国に把握されると居心地が悪いと感じるが、それは意識過剰というものだろう。自分が「ものの数でもない」ことに気づいて、そのうちに慣れるに違いない。
むしろ、「脱税していない」ということがデータから瞬時に確認・証明できることは、安心で好都合だ。そして、現在の「悪い金持ち」が脱税できなくなることの税収上のメリットは莫大だろうとの期待が膨らむ。
ただし、ここで困るのは、個人のデータを得た「誰か」(官僚である場合も、政治家である場合も、データの横流しを受けた場合の民間人である場合もあるだろう)が、個人のデータを不適切に利用する可能性だ。
かつて、文部科学省の高官が「風俗店」に通っていたことを暴露された事案があったが個人の「お金の使途」を全てデータ化できると、データの持ち主は、相手を選択してこのような攻撃を行うことが可能になる。
例えば、将来、消費税率の引き上げに反対意見を言う人は、「不都合な支出」を暴露メディアに流される、といったことが起こりうるのではないか。もっとも、それは今でも起こりうることが、より効率的に起こるようになるというだけのことなのかも知れない。
民主主義社会では看守たちにも監視が必要
デジタル化による効率化のメリットを取るためには、デメリットの可能性を減じる措置を「先に」取らなければならない。最も重要で急を要するのは、データの不正な利用に関わった場合に公務員や政治家がどのような罰則の対象になり、国や自治体がどのような補償を行う義務を負うのかに関する、デジタル化を想定した法制化だ。
加えて、データの収集、利用、管理が適切に行われているかいないかを、モニタリングする仕組みを作る必要がある。「官による官のチェック」は今でも十分にはうまく行っていないので、設計は難しいが(そして実行はもっと難しい)、仕組みは作る必要があるだろう。
データは覗き放題、取り放題で、利用は恣意的・裁量的にできる状態を、パノプティコンの看守(政府側)に許すべきではない。民主主義の社会では看守たちにも監視が必要だ。少なくとも、彼らのやることをモニタリングできるのでなくてはならない。
パノプティコンの「真ん中」に、少し強めの光を当てることが必要だ。(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)
無料会員登録はこちら
ログインはこちら