「アリ型」日本人は、変化に対応できない アリの「閉じた系」からキリギリスの「開いた系」へ

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観察対象に線を引くことの例を挙げる。

ひとつ目は「常識」と「非常識」という区別である。アリは自らの共有する価値観に合致する事象を「常識」として肯定し、その外側の事象を「非常識」として否定的に判断する。これに対してキリギリスはすべての事象を連続的な変化としてとらえるために常識と非常識を明確に区別して考えることはしない。

たとえば自分が理解できない新しい世代の行動にどう反応するか。アリはそれを「非常識だ」と判断して、その行動を改めさせて「常識の世界の内側」に持って来ようとするか、あるいはその行動を否定して拒絶するかの二者択一の判断をする。一方、キリギリスは「そういう傾向の人が増えてきている」という事象の変化を淡々ととらえて否定も肯定もしない。キリギリスの辞書には「常識」も「非常識」もないのである。

また「業界」や「組織」という線引きも例として挙げることができる。アリにとってはビジネスにおける企業や個人の活動が「どこの業界や組織の活動なのか」が重要である。業界ごとに担当部門が異なるような組織で活動している場合に、「それはどの部門の担当なのか?」が明確に定義されなければアリは行動できない。
これに対してキリギリスは良くも悪くもフレキシブルである。どこの業界か明確に定義できない顧客であれば、まずはその顧客の特性を見極めたうえで、必要であれば「線を引き直す」(組織を再定義する)ことをいとわないのである。

線を引かなければ問題は解けない

見方を変えると、実は「線を引く」のは問題の定義そのもので、私たちが何らかの問題を解くときには、必ず明確にその問題を定義してからでないと先に進めない。たとえば「プロジェクト」という形で問題を解決する場合にも必要なのは範囲(スコープ)を明確に定義することである。範囲が不明確なプロジェクトは必ず失敗する。目的やリソース、スケジュールといった形でやるべきことのすべてを明確に「線引き」する必要がある。

「新しい会社を作る」ときも同様である。会社という組織を定義し、どこまでが組織の中で、どこからが外側かを明確に定義する。そうすることでその組織のミッションや役割が明確になり、それによってその会社が解決すべき問題に取り組めるようになる。

つまり、問題というものは、基本的には何らかの「線引き」をしてひとつの系を定義しないと解くことができない。したがって、問題解決をするために「線を引く」のは十分理にかなっている。また「決められた問題を解く」ためには、引かれた線を所与のものとして固定して考える必要がある。これが「問題解決者としてのアリ」の思考回路となる。つまり「閉じた系」で考えることはアリにとっては必須条件なのである。

規則やルールも「線を引く」ことの別の例である。組織や社会を統治し、管理する(という問題解決の)ためにもこの「線を引く」という行為は必須である。「巣を持つ」アリにとっては、規則やルールにのっとって物事を進めることは基本中の基本であり、きわめて理にかなった行動と言える。

次ページ「線引き」がもたらすジレンマとは?
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