鉄道業界を支える工場が集まり始めた明治末の地図を見ると、大崎駅に無数の側線が確認できる。そこからは、すでに大崎駅が貨物駅として活況を呈していることを読み取れる。
しかし、明電舎が大崎駅から鉄道貨物輸送を始めたのは意外にも遅く、1940年ごろとされている。当時、大崎駅と明電舎の工場とを結ぶ引込線がなかったため、大崎駅までは自動車で製品を運搬していた。製品の大型化や輸送効率の観点から引込線が求められるようになり、1955年に完成。以降、貨物輸送が頻繁に行き交った。
明電舎とともに大崎を代表する工場として記憶されるのが、日本精工(NSK)だろう。ベアリングでは国内トップメーカーのNSKは、1916年に設立。明電舎と同様に、NSKは大崎駅に隣接するように工場を構えた。NSKも鉄道とは関係が深く、1932年には鉄道省(現・国土交通省)から依頼を受け、ガソリン動車のベアリングを開発。1964年に開業した東海道新幹線にも、同社のベアリングが採用されている。その後もNSKは最新技術で鉄道を支えている。
工場跡地が新たな街に
これら大崎駅一帯の工場は、戦後復興や高度経済成長を大田区の町工場とともに支えた。しかし、バブル期を経て平成の30年間で駅周辺は大きく変貌した。いまだオフィスを構える企業はあるものの、工場機能は地方へと移転が進められた。それに伴い、大崎駅周辺には広大な跡地が残り、そこが再開発されている。再開発後は高層のオフィスビルに変わり、明治期から近代工業を牽引してきた大崎の面影は薄くなった。
大崎駅界隈のオフィスビル化が進む中でも、存在感を発揮したメーカーもある。それがソニーだ。ソニーは、非接触型IC乗車券の技術として用いられるFeliCaを開発。2001年、JR東日本がSuicaにFeliCaの技術を採用したことでIC乗車券は普及した。
ソニーと鉄道の関係はそれだけではない。創業者の井深大は、鉄道総合技術研究所の初代会長を務めた。研究所内には、井深の功績を称える井深通りが今も存在している。そんなソニーも2007年に本社を大崎駅から移転したが、大崎駅界隈ではITベンチャーが次々に勃興している。これらITベンチャーの多くは、取引や技術開発などでソニーの影響を受けて成長してきた。
昨年11月から相鉄とJRの直通運転が開始されるなど、大崎駅は動線にも変化の波が押し寄せている。大崎駅の周辺には、今後も再開発の計画が持ち上がっているだけに、これからも注目エリアとして存在感を発揮することは間違いない。
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