「何もない」大崎は鉄道を支えた工業の街だった 来年120周年、悲しそうな「自虐キャラ」で注目

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当時の日本は、江戸切子や薩摩切子といったガラス製の食器などを製造できる技術は持ち合わせていた。しかし、日本に板ガラスを量産化する技術はなかった。板ガラスの国産化と量産化によって窓ガラスは成り立つ。鉄道にとって、窓ガラスは不可欠だった。

品川硝子製造所は、三条実美の家令を務めた丹羽正庸が1873年に設立した興業社を前身とする。鉄道の推進という政府の目的もあって、工部省が1876年に買収。最終的に板ガラスの製造は成功したものの、採算にのらなかったことから工場は再び民間へ売却された。

一方、後者の品川白煉瓦も鉄道を支えるうえで欠かせない企業だった。品川白煉瓦は1875年に西村勝三が芝浦で創業。広大な工場用地を求めて、1887年に大崎へと移転してきた。

東京駅の赤レンガも多くは大崎で生産された(筆者撮影)

レンガと聞けば、赤レンガを思い浮かべるだろう。白レンガという建築資材は、一般的に馴染みが薄い。赤レンガは見た目が美しいゆえに、化粧材として使用されることが多い。それゆえに、目にする機会も多い。他方、白レンガは耐火性に優れているので、主に構造材として用いられる。近代工業を推進するうえでも必要不可欠で、富岡製糸場をはじめ東京瓦斯局や八幡製鉄所などにも使用された。

品川白煉瓦は社名からもわかるように、白レンガが代表製品。しかし、化粧材の赤レンガも製造しており、品川白煉瓦が製造した約85万個の赤レンガは東京駅にも使われている。

鉄道の塗料も大崎で

駅の開業前から、大崎駅周辺にはわが国の近代化をリードする工場が点在していた。それが貨物の取り扱いを開始したことにより、さらに工場が集積していく。

1896年、日本ペイントの前身でもある光明社が大崎に工場を移転させた。光明社は海軍専属の塗料工場をルーツとする。塗料といっても主に顔料と染料の2種類がある。専門家でなければ、顔料と染料の違いを知る必要はないが、これら2つを一貫して生産できる光明社は技術力に優れているとの評判が立ち、政府から厚い信頼を得た。

光明社も業務拡大を理由に広大な工場用地を探しており、輸送に優れているという点から大崎への移転を決めた。大崎駅の近隣に移転した光明社は、帝国鉄道庁(現・JR)の指定工場になり、車両の塗装を手がけることになる。事業拡大の必要性もあって、光明社は1898年には日本ペイントへと社名を変更した。

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