イギリス、韓国におけるインターネット選挙運動の歴史--解禁へ向け動き出したインターネット選挙運動[4]

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 02年大統領選挙における盧武鉉(ノ・ムヒョン)はまさしくインターネット選挙の申し子であった。派閥も学閥もなかった盧武鉉は01年の夏、「私にはインターネットがあります。すでにインターネットの影響力は想像以上に大きくなりました。おそらく韓国政治史上初のインターネット選挙の真骨頂を見ることになるでしょう」と釜山で予言していた。

盧武鉉は既存メディアに反旗を翻した初の大統領であった。自発的なボランティア団体である「ノサモ(盧武鉉を愛する人たちの集い)」、公式サイトである「ノハウ(www.knowhow.or.kr) 」、ノムヒョン放送局(www.tvroh.com )、ノムヒョンラジオ(www.radioroh.com )を積極的に活用した。


■韓国のSNS「サイワールド」のコントロールルーム

出典:ウィキメディア・コモンズ

ノハウは情報性、機能性、政策表現度、相互作用性に優れており、1人あたりのサイト滞在時間がなんと75.8分にも達した。政治に限らない韓国全体のサイトアクセスで192位にランクし、対立候補である李会昌(イ・フェチャン)の1022位を大きく引き離し、勝利に結びつけた。

韓国では伝統的に「朝中東」と呼ばれる既存メディアが政治的影響力を行使してきた。朝鮮日報、中央日報、東亜日報の大手新聞3紙が明確な意思をもって選挙運動における暴露合戦などに参入するのである。

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