由緒ある路線で、1982年までは上野発の169系急行電車が屋代線経由で湯田中まで直通していた。しかし、県都長野を通らないので利用者の増加は見込めず、昼間の列車本数は電化区間とは思えない少なさ。2004年の夏に乗車したとき、昼間は2時間ほど間隔があく有様だった。
どんな過疎地かと思って乗車したのだが、無人の荒野が延々と続くわけでもなく、そこそこ集落もある田園風景が展開していた。もっとも、線路に並走する道路はクルマも頻繁に走り、沿線には郊外型大型店舗も散見された。その敷地の裏手にあるゴミ捨て場を見ながら電車は駆け抜け、何だかうらぶれた気分になってしまった。乗った車両には数人の利用者がいたけれど、女子高生からおばあさんに至るまですべて女性。思わず「女性専用車」かと慌てたほどである。
屋代線の利用者は、その後も減少の一途をたどり、いつしか廃止に追い込まれた。長閑(のどか)な雰囲気や木造駅舎のある鉄道情景と都会的な元地下鉄日比谷線のステンレス車両とのアンバランスも面白いものがあった。2012年4月1日に廃止となった。
ローカル線に元東急車両
「観光電鉄」と名乗っていたにもかかわらず、十和田湖へのアクセスには十和田市駅からバスに乗り換えなければならないため面倒で使えなかった。多くの観光客は、東北新幹線の駅や東北本線の拠点駅からクルマやバスで十和田湖に向かっていたため、この路線の利用者は沿線の住人に限られていた。
さらに起点の三沢駅が東北新幹線のルートから外れたので、三沢駅も長距離客の利用が減ってしまった。また、東北新幹線に七戸十和田駅が新設されたこともあり、この駅が十和田湖観光への玄関口と思われるようになり、十和田観光電鉄はますます苦戦を強いられるようになった。さらに追い打ちをかけるように東日本大震災の影響もあって力尽き、2012年4月1日付で廃止された。
昭和の面影を残す三沢駅はローカル色たっぷりで味わいのある建物だった。それに比べると、元東急7700系を改造した電車は都会的でどことなく垢抜けていた。乗ったときは観光客の姿はなく、予想通り地元の利用客ばかりであった。途中の七百(しちひゃく)駅は唯一電車の行き違いができる駅で小さいながら車両基地もあった。電車に交じって、凸型の電気機関車が休んでいたが、鉄道ファンには注目の車両で、冬季の除雪以外では、ときたまイベントなどで走るのみ。動いているところを見てみたかった。
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