高知東生が語る「それでも薬物に手を出した訳」 なぜダメだとわかっていても使用したのか
最初に薬物とどう出会ったかにもよりますね。僕の場合、実は初めてやったときは高揚感も何も分からなかったんです。依存症業界ではそれを「拍子抜けの体験」と呼ぶのですが、振り返ればその日はやたら寝れなかったなというぐらいで、そんなに衝撃はありませんでした。
ただ、次にそこで集まった仲間の女性と遊んだときに、初めてセックスで何だこれはということを感じてしまって。その後も、拍子抜け体験があったからいつでもやめられると思いつつ、ストレスが溜まってスカッとしたいときに使うことが多くありました。
塚本:一回やって人生が終わりになるというわけではない人は結構いますよね。私の場合も、それこそ合法時代は、今日はむしゃくしゃするからそういうのがあればいいな程度の感覚で付き合っていました。
安部:これは伝え方が難しいですね。一般的な報道や学校教育では、一回やったら人生がすべて終わるし、絶対に抜けられないものだという刷り込みがあります。その刷り込みがあるからこそ、先ほどおっしゃられた拍子抜けの体験というものがあって、意外と何とかなるじゃないという油断につながる側面もあると。
一方で、具体的に伝えれば伝えるほど、使っているところを想像させてしまい、使用するきっかけになってしまいかねない。
コントロールをしながら使っている人もいるとリアリティを持って伝えることの功罪というのはどうお考えでしょうか。
今の時代は何でも情報が出てくる
塚本:今の時代、調べれば、それが事実かデマかはさておき、何でも情報が出てきてしまうじゃないですか。
今までの教育が怖がらせることに特化してきて、それで置いていかれてしまった人たちもいるわけなので、恐怖を煽るような伝え方には限界があるんじゃないかなと感じています。
だからこそ、私たちは当事者として、「自分はこうだった」というかたちで率直に伝えるようにしています。
ただ、私の場合は覚醒剤などは危険なものという認識があって使用していないので、それは一定程度、教育のおかげかもしれません。