「正しい医療情報に拘る人」がわかってない本質 時と場合によって「正しさ」は変わってくる

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2018年のがんによる年齢調整死亡率は、人口10万に対して78.6。一方で1988年は108.5だ。この30年間で大幅に減っている。「がんで死ぬ人は増えていない。むしろ減り続けている」という意見も、あながち間違いとは言えない。

「死ぬ人が増えているか?」という、一見シンプルな命題においても、正反対のどちらの答えも「正しい」と言いうる。医療分野では、こうしたことは珍しいことではない。正しさは前提条件、もっと言えば、そのデータを解釈する「目的」によって変わりうるのだ。

先述の問いの目的が「死因の移り変わり」を示すことであれば、前者の解釈(増えている)が正しそうだ。しかし「がん医療は進歩しているか?」を示すのであれば、後者の解釈(減っている)が適切かもしれない。「国際的に見てどうか?」であれば、さらに多様な文脈による解釈が必要となりそうだ。

君子豹変を怖がらずに

PCR検査においても同様だ。どのくらい実施されれば適切なのかは、その時点での国や自治体の感染対策の「優先順位」や「リソース」によって変わりうる。同じ問いを前にしても、ある時点で「正しい」と思われた解釈が、その後、適切でなくなることなどいくらでもある。

情報を伝える側に求められる姿勢は、「君子豹変」を怖がらないことではないだろうか。今伝えようとすることと過去の内容が一見食い違っていたとき、居心地の悪い思いがするかもしれない。しかしむしろ、過去にとらわれて情報を解釈する目に曇りが生じることのほうが怖いのだ。

つねに「この情報は、受け手にとってどう役立つのか」を意識する。そして「変化」を恐れない。個人的にはこれらのことが、新型コロナ禍で医療情報を伝えるうえでの心構えだと思っている。

市川 衛 NHK制作局チーフ・ディレクター、メディカルジャーナリズム勉強会代表

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いちかわ まもる / Mamoru Ichikawa

医療の「翻訳家」。京都大学医学部非常勤講師。2000年、東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。2016年、スタンフォード大学客員研究員。

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