「正しい医療情報に拘る人」がわかってない本質 時と場合によって「正しさ」は変わってくる
例えば「夜の街」に関する報道の際に、いかに「ある業態のリスクが高いか」だけを伝えていないだろうか。それは視聴者・読者の興味関心に沿うのかもしれないが、本当に対策をとってほしい夜の街の「当事者」の立場にたてば、自らの存在を否定されたと感じ、反発を生んでしまう(Backfire effect)かもしれない。
また、感染対策を勧める報道の際に、おなじみの電子顕微鏡写真(ウイルスを大写しにしたもの)に、毒々しい色のテロップを載せていないだろうか? そうすることで、視聴者が勧めたい対策自体に忌避感を覚え、やる気を失ってしまうかもしれない(Danger-priming effect)。
個人的に(基本的すぎると言われるかもしれないが)、新型コロナ禍における医療情報の報道では、つねに頭の片隅で「この情報によって、受け手側にどんな行動変容を起こしてほしいか?」を意識するようにしている。情報を伝える「目的」と言い換えてもいい。どんなデータを紹介するか、また演出法については、あくまでその「手段」とし、目的に沿うものを選ぶということだ。
正しさは状況によって変わる
もう1つ意識しているのが「正しさは時によって変わる」ことだ。例えばPCR検査については、感染拡大の初期から現在までつねに議論になっている。「国内の実施数は少なすぎる」「いや適切だ」と専門家のなかでも意見が分かれている。報じる側としても困惑するケースが少なくない。なぜ同じデータをもとにしているのに、食い違うのだろうか。
1つの例として、次の文が「正しい」か考えてみてほしい。
「正しい」と答えた人が多いだろう。そのとおり。国立がん研究センターの「がん情報サービス」によれば、2018年のがんによる死者は37万3584人。30年前(1988年・20万5470人)と比べて、17万人近く増えている。
でも考えてみたい。がんは高齢になればなるほど増える。日本は高齢化が進んでいるので、がんによる死者が増えることはいわば宿命だ。では、年齢による影響を調整するとどうなるのか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら