テレビ報道の現場を覆う「身分制社会」の不条理 ニュース番組の「エース」でさえもこの扱い

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私の周辺にいるドキュメンタリーDたちは、だいたい「映画監督に憧れて」という人と、「ジャーナリストになりたくて」という人が多く、2大派閥になっている。あとは放送関係の専門学校卒の人や、他業種からの転職組もいる。

転職組の前職はバラエティに富んでいて、私の周りにもホスト、建築現場作業員、俳優、公務員、ケーキ職人、板前見習いなど、さまざまな過去を持つ人間がいる。彼らはAD(アシスタントディレクター)として業界に入ってきて、次第に腕を磨き一人前になっていく。

「ホラー映画が大好きで、大学の映画サークルで映画を作っていました。映画仲間が普通に会社に就職していくのに腹が立ち、江口洋介さんがフリーターの役をしていたドラマを見てカッコいいなと思ったこともあって、フリーで業界に飛び込みました。

『映画の現場で働きませんか?』という広告を見て派遣会社に問い合わせたら、『映画の仕事はないが、テレビならある』と言われて、テレビの仕事を始めました」

こう語るのは40代半ばのAさん。制作の仕事ができるのかと思ったら、ゴルフ中継のカメラアシスタントの仕事だったという。

めちゃくちゃ重い三脚を持って、ゴルフコースを歩かねばならない。しかも、ケーブルをうまく巻くことができず、カメラマンに怒られる毎日。「このままでは死ぬ」と思い、派遣会社に泣きついたら、教育番組の制作を下請けする会社に派遣されることになった。

「社長を入れて全部で4人しかいない会社で、ほぼADをすることなく、いきなりDにされました。何をしていいかわからず、右往左往するばかりの日々でした。仕事を教えてくれる先輩が理系の人で、説明が専門用語ばかりで細かすぎて一層わからないのに泣かされました。

それでも1年がかりで何とか仕事を覚えたころに会社が倒産しました。休みなく働いて、月収は20万円いきませんでした」

フリーターに戻ろうかと思っていたAさんに、救いの手が差し伸べられた。知人のツテで大手の番組制作会社で働けることになったのだ。ただし、立場は社員ではなく、番組契約。ADに戻っての再スタートだった。

そして、業界に入って4〜5年経って、初めて月収が20万円をわずかに超えた。その大手制作会社の役員にも気に入られ、順風満帆に思える日々だった。

危険なネタは「番組契約D」の仕事

しかし、現実はそう甘くはなかった。Aさんの番組が、局の方針変更で打ち切りとなったのだ。

「突然の打ち切りだったので、その役員の人にこう相談しました。『●●さん、正社員にしてくださいよ』。すると、その人は笑いながらこう答えました。『あはははは、それは無理』。

仲がよかったのに、即座に断られてショックでした。しかも笑いながら。チャラい感じの人ではあったのですが、冷たいなと思いましたし、もう少し物の言い方があるだろうと思いましたよ」

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