第99代首相「菅義偉」を読み解く本人の言葉18選 素顔、原点、思想、信念、信条をどう語ってきたか
菅:当たり前の政策が縦割り行政の壁に阻まれて実現できていないことが多い。これまでも観光や農業などいろいろな分野で、縦割りの中で埋もれていた問題を引っ張り出して政策を前に進めてきた。今後もどんどん進めようと思う。
菅:農家の長男だったけど、高校を卒業して、農業を継ぐのが嫌で、東京に行けば何かあるのではと思って来たが、何もない。現実は厳しかった。働きながら、やるべきことをやるべきだと考え始め、大学に入って考えようと思った。法政大学に入り、卒業してサラリーマンになったけど、会社で決まったことをやるのではなく、自分で決めてやりたいことをやる。それは政治と思った。1974年の参院選で東京の自民党候補の選挙を手伝った。朝から晩まで頑張った。水を得た魚じゃないけど、探し求めていたのはこれだ、と。
歴史の本だけは読む、普通のノンポリ学生だった
菅:大学ではほとんど勉強しなかったけど、歴史の本だけは読んでいた。普通のノンポリ学生で、政治について、誰かの影響を受けたり、何かきっかけがあったりしたわけではない。
菅:戦前に南満洲鉄道に勤め、戦争に負けて帰ってきてからは、ボーッとしていたみたいです。いろいろなことをやろうとして、イチゴの栽培で米作りよりも収入を多くした。人はよかったが、だめなところも見てきた。親父より私のほうがはるかに緻密だと思う。
菅:政治といっても、誰も知っている人はいない。法政大学の就職課でOB会の事務局長を紹介してもらい、その人が法政大学OBの中村梅吉さん(元衆議院議長)の秘書につないでくれた。中村さんは引退という話になり、同じ中曽根派の小此木彦三郎さん(元通産相)の事務所に。政治家の秘書になったときがいちばんうれしかった。
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