37歳「麻雀プロ」最強に上り詰めた男の快活人生 サラリーマンを辞め、好きを究める道を選んだ

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成績的には進学校にも行けたのだが、より楽しそうな学校はないか探した。

私服でOK、土日が休み、という点が気に入り、神戸市立工業高等専門学校の電子工学科に進学した。

勉強は親に文句を言われない程度に、こなしておいた。軽音楽部とバスケ部の2つに入り、どちらも楽しんでいた。

そんな折、クラスの友人たちが教室でカード麻雀をしているのを見かけた。何でも経験だと思って挑戦してみると、これが面白かった。のめり込みそうになったが、高校2年まではまだ軽音楽部の活動がメインで、麻雀はたまにやる程度だった。

「それから高校3年生から5年生(高専は5年制)までは麻雀にずっぽりとハマりましたね。いったんハマると、長いたちなんです」

クラスメイトには10人近く麻雀をやる仲間がいた。泊まっても怒られない友人宅で、みんなで徹夜で麻雀をした。

授業が終わった後の教室で麻雀を打っていたら、さすがに先生に怒られたので、学校近くの公園に移動し東屋で打った。

1人でいるときも、ゲームボーイの麻雀ゲームでポチポチと遊んでいた。

金さんは、その頃から麻雀は強かったのだろうか?

「今思えば強かった気もするのですが、そんなに覚えてないんですよね。当時は、自分がいちばん強い!!みたいなのは二の次でした。友達と一緒にいられる時間が大事でした」

高専卒業後は電機メーカーに就職するも…

高専を卒業すると、大学には編入せず電機メーカーに就職することにした。

家電製品のプログラムをするのが仕事だった。具体的にはリモコンのプログラムを制作した。当たり前に、

「定年までここで働くんだろうな」

と思っていた。

入社した春から夏までは、仕事を頑張った。だが仕事が慣れてくると段々、麻雀が打ちたくなってきた。週末、遊びで打つことはあったが、それだけでは物足りなくなった。

「入社したときは『この部署にいたら、お金が貯まるよ』って言われてたんです。ただ、働いてみるとお金が貯まると言うか、単に使うヒマがないだけなんですね。ただ、ブラック企業というほど忙しいわけではないんですが、なんだか毎日が楽しくなかったです」

同僚を見ても、やっぱり楽しそうではない。平日は仕事をして、土日はめいっぱいエンジョイする、と切り替える人もいたが、金さんはそういうタイプではなかった。どうにも息苦しく、

「僕にはサラリーマンは向いていないんだ」

と思った。

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