アメリカ同時テロと日本を繋ぐ"点と線"の追憶 19年前の9月、私がニューヨークで見た光景

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現場から昇っている煙はマンハッタンの中心部からも確認できた(写真:筆者撮影)

湿ったゴミの焼ける臭いー―。私がニューヨークに入ったころには、WTCの建っていた場所からまだ煙が昇っているのが、マンハッタンの中心部近くからも見えた。ダウンタウンに近づくにつれ、そんな臭いが鼻を突くようになる。

高層ビルが縦に崩れたことによって、内部は石臼のような状態になり、救助に入った現場からは瓦礫と一緒にバラバラになった人の身体の一部が見つかる。しかも瓦礫の下に火がついたことで、蒸し焼きのような状態になっていた。倒壊現場では放水が続いていた。

現場周辺のショップでは、崩れた建物がまき散らした粉末状の残骸が押し寄せていた。陳列された衣類が真っ白にほこりまみれになっている。煙臭さにほこり臭さが交わる。

道路を清掃する作業員の姿もある。WTCにはアスベストが使われていたはずだからマスクをするように、と呼びかけるボランティアもいた。

そこへグラウンド・ゼロ(爆心地、災害の中心部)に向かう消防士やボランティアを乗せたバスが、ベルを鳴らした消防車の先導で通りかかる。沿道の人々は歓声や拍手で見送ると、車内から屈強の男たちが手を挙げて答える。人々の気持ちがそこで1つになる。

同時テロがアメリカ人の心にもたらしたもの

普通の人々が立ち入れないグラウンド・ゼロでは、テロを仕掛けたイスラム教徒に対する怒りで満ちていた。市内ではターバンを巻いたインド人をイスラムと間違えて射殺する事件も起きていた。

瓦礫を掘り起こしながら、人の残骸が見つかるたびに、涙を流すボランティアもいた。そして、怒りを口にしていた。

それが時間が経つにつれて、どうして彼らはこうしたテロを起こしたのか、という疑問の声が挙がるようになり、どこかでアメリカのしたことが間違っていたのではないか、と作業の合間に話し合うことも珍しくなかったという。実際に、グラウンド・ゼロに入った日本人ボランティアから、そう聞いた。

私もグラウンド・ゼロに入ろうと、ボランティアに参加してみた。私が配属されたのは、現場で働く消防士や警察官が食事をとるテントだった。皿を持ってやってくる彼ら彼女らに料理を盛りつける作業を延々と繰り返した。お陰で、料理の説明をする「チキン」という発音がうまくなったとアメリカ人から褒められた。

そうしたテロ直後の現地で最も驚かされたのは、同時多発テロと日本とを結び着けるアメリカ人の感覚だった。

テレビニュースを観れば、6年前の東京であった地下鉄サリン事件とオウム真理教の教祖の映像が繰り返し流される。次は地下鉄が狙われると警告しているのだ。

次に「パールハーバー」という言葉が繰り返される。アメリカを構成する50の州が直接攻撃されたのは、日本の真珠湾攻撃以来だと伝えている。

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