アメリカ同時テロと日本を繋ぐ"点と線"の追憶 19年前の9月、私がニューヨークで見た光景

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
アメリカ同時多発テロ直後のワールドトレードセンターの倒壊現場(写真:筆者撮影)

アメリカ同時多発テロ事件から19年になる。

その直後に入ったニューヨークの現場で、私は安倍晋三を見ている。在任日数が憲政史上最高を記録し、まもなく職を辞そうという今の日本の首相だ。

当時は第1次小泉純一郎内閣の官房副長官の職にあって、テロ事件後に訪米した小泉首相に帯同していた。航空機が突っ込み倒壊したワールドトレードセンター(WTC)の現場を、小泉が近くから視察するにあたって、その場所に先乗りして到着を待っていた。

日本の首相が来るとは知らずに、物々しい雰囲気に野次馬が集まる中で、ひょろりと詫びしそうに立っている姿が目にとまった。

この人物がのちに首相となり、“安倍一強”と呼ばれる体制の中で、連続在任日数が史上最高を記録するとは思いもしなかった。民主党(当時)から政権を奪還した安倍政権は7年と8カ月で幕を閉じるが、第1次もあわせると、この19年間のうち半分近く首相の座にいたことになる。

グラウンド・ゼロで何を見たのか

小泉首相(当時)とともに現場を視察する安倍氏(写真:筆者撮影)

先乗りした安倍のもとへ小泉が到着すると、並んで倒壊現場を見てまわり、そして「Missing」と書かれた無数の張り紙の掲げられた壁の前を通り過ぎていった。

「Missing」の張り紙には顔写真も添付されていた。WTCの倒壊と同時に行方不明になった人たちの家族が、ニューヨーク市内の至るところに貼ったものだ。

中には日本人のものもある。そこには日本語で、

「ありがとう。お母さんは幸福でしたよ」

と、書かれたものもあった。もう行方不明者を捜すというより、家族を偲ぶものに変わっていた。

次ページ筆者が見た現場の光景とは?
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事