アメリカ同時テロと日本を繋ぐ"点と線"の追憶 19年前の9月、私がニューヨークで見た光景

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しかも、グラウンド・ゼロに初めて星条旗が掲げられた瞬間には、実況が「まさに硫黄島の光景」とまくし立てる。戦時中の硫黄島の攻防は振り返るまでもないが、摺鉢山に星条旗を立てた兵士の姿はアメリカの英雄を象徴する。それになぞらえて、この奇襲に始まる戦争にも、やがてアメリカが勝利することを予見させている。

もっとも、民間航空機をハイジャックして高層ビルや国防総省に、命とひき替えに体当たりすることを、彼らは真っ先に「カミカゼ・アタック」と叫んだ。いうまでもなく、戦時中の日本の神風特別攻撃隊からの引用だ。

自爆テロを教えたのは日本人だった

そもそも、イスラム世界に“自爆テロ”を教えたのも日本人だ。

日本赤軍による「テルアビブ空港乱射事件」がきっかけだった。

1972年、イスラエルのテルアビブにあるベン・グリオン(旧ロッド)国際空港で日本赤軍のメンバーの奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人が銃を乱射。最後に手榴弾で自爆するはずが、奥平は射殺され、安田のみが自爆。岡本は拘束された。

日本の“切腹”にも通じる自決覚悟と、自己犠牲の攻撃手法に、パレスチナやイスラム文化圏が衝撃を覚える。これがジハード(聖戦)と重なって、自爆テロが確立していく。

そうしてみると、このテロ事件の源流は日本に求められるといっても過言ではなかった。ただ、それも歴史を振り返れば、アメリカと独立国として対峙してきたのが、日本だったというだけのことだ。

今、WTCの建っていた場所には、巨大な池のようなモニュメントが整備され、そこを取り囲む石碑には犠牲者全員の名前が刻まれている。その中に、母親の名前といっしょに「AND HER UNBORN CHILD(生まれなかった彼女の子とともに)」というものを見つけることができる。

それが世界で最も寂しい墓標のように見えてしまうのは、私だけだろうか。(一部敬称略)

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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