実は、日本の近現代は、日米中関係をいかに御していくかをめぐって苦しみ抜いた歴史だった。日露戦争後、満州事変と日中戦争を経て、太平洋戦争に至る戦争への道は、まさにその課題に失敗した歴史だった。戦後もその3者関係の危うさとこわさを何度も垣間見せた。そこには「日米中の罠」とでもいうべき落とし穴が潜んでいる。
「真空論」と「瓶のふた論」
米中関係でいうと、ニクソン・アメリカ大統領の日本の頭越しの対中接近がある。1972年のニクソン訪中の際の周恩来首相との会談で、ニクソンは「アメリカの軍隊が日本から去れば、日本は独自の防衛力増強に向かうか、日本が中国に、いやあるいはソ連に寄って行くか」という2つの可能性に触れ、アメリカが日本などの同盟国と防衛関係を保つ限り「彼らが中国に有害な政策をとらないように影響力を行使するだろう」と述べている。アメリカは米中接近を中国に売り込む際、「真空論」(ソ連脅威論)とともに「瓶のふた論」(日本リスク論)を使ったのである。時代が下がってオバマ政権時代、中国は「新式の大国関係」をともにつくろうとアメリカに誘いかけ、アメリカを一時、その気にさせた。習近平はオバマに「巨大な太平洋は中米両国という大国にとって十分すぎるほどの広さがある」と畳みかけた。中国はそこに「太平洋分割論」をからませようとしたのである。
日米関係でいうと、尖閣諸島問題をめぐる日中紛争へのアメリカの忌避感がある。アメリカは日本の施政下にある尖閣諸島に関しては日米安全保障条約第5条に基づく防衛義務を順守するとのコミットメントを明確にしているが、領有権については立場を明らかにしない方針を採っている。2012年の日本政府の尖閣諸島のいわゆる「国有化」決定に当たってオバマ政権は、アメリカが日中軍事対立に「巻き込まれる」リスクを恐れ、国有化を思いとどまらせようと試みた。それは、日本に「見捨てられる」リスクを感じさせた。
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