アップルの低迷→復活の歴史に見えてくる本質 ビジネスパーソンの評価は短期間で定まらない

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アップルは1976年の創業後、パソコン市場の拡大によって急成長を遂げます。1980年には株式公開を行って設立わずか4年で会社は軌道に乗ることとなり、その経営者であるジョブズ氏にも注目が集まりました。その後も、アップルは一貫してパソコンの開発に邁進し、1984年に「マッキントッシュ」を世に送り出しています。

ところが1981年、コンピューター業界の巨人IBMがパソコンに参入して「IBM-PC」を発表すると、アップルと正面衝突することとなりました。アップルのパソコンはグラフィックが強いという趣味的要素の高いものであったのに対し、IBMのパソコンはビジネス用途で使うことに主眼を置いたため、IBMは一気にシェアを拡大していきました。

加えて、IBM-PCには、業界の競争ルールを変えてしまう力がありました。それは、OS(基本ソフト)にはマイクロソフト、マイクロプロセッサにはインテルの製品が採用されたことです。この結果、パソコン市場の中心はIBMやアップルのようなパソコンメーカーではなく、OSやマイクロプロセッサを供給する裏方企業――マイクロソフトとインテルなどに移ることとなりました。

このような流れの中でアップルの業績は低迷し、そして社内不和は無視できないものとなりました。そうして1985年にはジョブズ氏は自ら創業したアップルを去ることとなったのです。なお、当時の日本のメディアが、

「シリコンバレーのニューヒーロー(新しい英雄)、あるいはアメリカン・ドリームの体現者と言われてきた人物にしては、みじめで、後味の悪い引き際だった」

と総括するほど、この頃のジョブズ氏への評価は低いものでした。

アップル復帰後のジョブズに鳴かず飛ばずの時代も

1990年代に入っても、アップルの経営の低迷は継続。マイクロソフトがWindowsを発表したことによってアップルの劣勢がより鮮明となりました。1996年にアップルは売上高98億ドルに対して最終赤字8億ドルを計上、1997年には売上高70億ドルに対して最終赤字10億ドルを計上するなど、その経営は行き詰まってしまっていたのです。

ボロボロになってしまったアップルは1996年、ジョブズ氏が経営に復帰します。ジョブズ氏はまず、競合であるマイクロソフトと提携し資金を確保。「Word」および「Excel」をアップルのOS向けに開発することを確約しました。

次にジョブズ氏は「製品数の削減」に着手します。当時の製品ラインナップの実に7〜8割を削減することで、投資効果の向上を図りました。

この結果、1995年に110億ドルだった売上高が1998年には59億ドルへと激減するものの、1998年には0.3億ドルの純利益を計上、黒字転換することとなりました。とりあえずの止血を達成したのです。

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