ずん・飯尾和樹「アドリブのNGは生きている証」 苦節20年で培われた、ぺっこり低姿勢
「例えば、僕はラーメンに1000円以上払いたくないんですが、近所の気になるラーメン屋さんは、具を全部のせにすると1300円になるんですよ。そういう普段の自分では手を出さない、ちょっとしたぜいたくに使ってみたい。あと、あればの話なんですが、“芸能人としての華”が売ってたら5000円分買いたいんですけど、どっかで売ってませんかね?」
華はなくても(?)、今や超がつく売れっ子。お金の使い方も、派手になったのでは?
「これが、時計が好きとかなくて。車はカッコいいなと思うんですけど、免許がないから買う必要もない。自転車も置ける場所がないから1台だけ。1回“これも経験”と思って高級メガネを買ったんですよ。遠近両用のいいレンズ。でも高級なものはむしろ合わなくて、今は眠ってますね。やっぱり、今まで培ってきたものがあるから大きくは変わらないですねぇ」
今でも赤いソーセージが大好きで、スーパーでは必ずカゴに入れるという庶民派だ。
「飲みに連れていける人数は増えましたね。今までは、いっぺんに大人数の面倒は見られないから、2チームに分けて。3日後にもう1チームの後輩と飲んでましたから(笑)」
苦節20年以上。その貧乏時代は?
相方のやすと『ずん』を結成したのは2000年だが、芸人デビューは1991年。20年以上、売れない時代を過ごした。
「ウチの事務所は25日が給料日なんですけど、20日過ぎると、1日300円で暮らさざるをえなくて。それも守れず、2日くらいでなくなっちゃう。最後の1杯まで飲んじゃって、2時間歩いて帰ったりしましたね。なかなか世田谷区を抜け出せなくて“世田谷ってでかいんだなぁ”って思いながら(笑)」
キャベツ1個で3日間暮らしたことも。
「キャベツチャーハン、キャベツカレー、ロールキャベツの具なし版“ロールなしキャベツ”とか(笑)。僕の場合は同期のキャイ〜ンが先にバーッと売れたので、よくロケ弁や楽屋の弁当を大量にウド(鈴木)が運んでくれて。ずいぶん、それで食いつなぎましたね」
飯尾のテッパンネタの1つ、現実逃避シリーズ(昼間からゴロゴロゴロゴロ〜。あーあ、何でも10円で買えたらなぁ等)は30代半ば、リアルに考えていたことだという。
「(低収入で)ロクに税金も払わず、最悪ですよね。なのに、今回のようなお仕事をさせていただいて。あのころは本当にお世話になりました」